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2014年12月20日 (土)

海南島へ来て最初の「別れ」

 中国へ来て初めて、女性とデートしました。デート、漢字で書くと「約会」であります。

 台所のLPガスの注文のことからガスコンロの手配(というかある時期大学当局への「苦情」)から、携帯電話の海外発信対応へのSIMカード書き換えから、身の回りのあらゆることでお世話になった朱さん(この名字の人も中国にやたらと多い)に、「一緒に食事をしたい」と電話を掛けたのは火曜日。彼女は外事処事務官さんの助手で、大学4年生だから、1月の試験が終わったらもう助手職は終了すると知ったからです。

 彼女の返事は、「ええ、嬉しいです、でもどうしてですか?」私は、今までのお礼を言いたい、と言いました。中国語でそんなこと言えません。彼女は外国語学部、英語科の人なので(だから外事処に採用された)英語で言ったのであります。彼女は「でも、外教の先生方のお世話をするのは私のビジネスですよ」私は、とにかくお礼が言いたいんだよ、と告げました。いろいろあるけどそれはそれとして、anyway というのはとても便利な言葉であります。私は、1219日、と指定をしました。何かを計画して誰かをそれに誘う時、いつかどう? とかそのうちどう? とかいうのは日本人同士ならいいけど、中国人相手なら(たぶん他のどの国の人相手でも)何も言わないのと同じであります。本当にその気持ちがあるなら、最初に、具体的に日にちを決めて、その条件の下で、決然と、提案しないといけない、と学習しております。

 朱さんは、「わかりました、19日金曜日、仕事のめどがついたら電話します」と言って、電話を切りました。

 その1219日金曜日、午後4時、彼女から着信がありました。「なかなか仕事が終わりません、少し遅れます、待っていて貰っていいですか?」私はノータイムで、もちろん待つ、と言いました。かなりあとで、今仕事が終わりました、待ち合わせ場所に向かいます、という連絡がありました。

 迂闊にも、本当に迂闊にも、私は知らなかったのですが、1219日というのは、彼女の助手としての「仕事納め」の日であったのでした。次の助手はもう採用されており、引き継ぎ文書を作らないといけない、それでも彼女は私との食事会のために頑張ってくれ、約30分後、「今、仕事終わりました、附属中学の前で待っています」という電話をくれた、そういうわけだったので、ありました。

 何度か先輩外教のW先生と食事した、東北料理のお店へ。ここには肥え太ったシシャモのフライがあり、とても美味しいのです。餃子もおいしい。お店の女主人はメニューを持ってくると、「まず餃子は何にする?」と聞きます。この日は、ニラと卵にしました。いつものシシャモのフライ、それに大豊収。これは朱さんが注文しました。

 英語と中国語をちゃんぽんで、美味しい東北料理を食べながら、会話を楽しみました。迂闊にも、彼女は外事処の職員として早朝から夕方まで仕事をしていたので、ここ、南校に寮があるのだと思っていました。南校と桂林洋学舎とは市内循環バスで1時間以上離れています。彼女の寮は実は桂林洋にあり、毎日仕事が終わるとそこへ帰るのです。この私との食事会の日も8時にそれが終わったら45番のバスで1時間かけて寮に帰る、そういうことでした。申し訳ない知らなかった、と私は楽しい会話の合間に言いました。あなたがこれからそんな長い距離を帰るなんて。

 もちろん彼女の返事は、「毎日のことです」というものでした。

 実家のこと、そこへ電話する頻度のこと、1月以降のこと、1歳離れた弟さんがハンサムなこと、江蘇省の大学で学ぶ彼のお酒の強さのこと、私の中国語のこと、絶え間なく楽しい話題が続き、あっというまに8時を過ぎました。彼女はもうバスに乗らないといけません、それに話の途中で知ったのでしたが、彼女には土曜日に英語のテストが課せられていたのでした。

 815分、龍昆南路に彼女を見送りました。

 中国語で別れの挨拶は「再見」であります。しかし、そう言って長い別れの時間に入った人間同士が再会できる可能性はそんなにありません。日本語でもそうです。また会いましょう、と私達は言います。でも、ほとんどの人とはもう会えません。

 だからこそ「再見」という言葉に実感がこもるのだ、と思いました。

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