« 追われる者は追う者より速く走らないと | トップページ | ポークソテー焼きながら安倍の夢を見る »

2014年12月18日 (木)

哲学の石の上で「アメリカ以後」を考える

Photo


 「大好きって事は大嫌いってことだよ」と、謎のようなことをおっしゃったのは、北野武監督であります。

 「アメリカが大好きだ、と思って育ち、大人になってからもそう思い続けてきた人は、何かのきっかけでアメリカが好きでなくなると、あっというまに反米に振れるだろう」と喝破したのは、村上龍であります。

 小説と映画、両大御所の言葉は、私に関する限り、ぴったりと当てはまります。

 物心ついた時、アメリカは世界の最先端の文化国家として私の中に強く強く印象づけられました。生まれて初めて飲んだコカコーラの味はひどいものだったけど、顔をしかめて半分残った瓶の中のそれを母親に返した小学校低学年の私は、これを飲めないのは自分が田舎者だからだ、これは美味しいもののはずなのだ、と固く信じていた。(自分は田舎者だという判断、それはまぁ、正しい)

 小学校5年生の頃に家に白黒テレビが導入されたが、コンテンツはほぼアメリカ発だった。サーフサイド6、ララミー牧場、ルート66、忘れちゃいけないローハイド、パパは何でも知っている、ルーシー・ショー、……書きながら涙が出てくる、アメリカ人はなんてかっこいいんだろう、男はなんてスタイルいいんだろう、女の人はどうしてあんなにきれいで脚が長いんだろう、と切なく憧れた。シャープ兄弟は悪役だけどとりあえず強かったし、マリリン・モンローは頭は悪そうだけどセクシーだった。

 日本は何年かかってもアメリカを目指すのだ、と信じて疑わなかった世代だ。それが自分の中で全く反対方向に振れたのはいつで、そのきっかけが何だったのか、どうしても思い出せない。気がついたら昔憧れたダッジ・スーパーチャージャーもムスタングも故障の多いどうしようもない車になっていた。マリリン・モンローは今なお魅力的な女性として私の中にあるが、ララミー牧場やローハイド、ブロークンアローみたいな英雄譚は要するに先住民族を蹴散らしながら外来者の土地を無理矢理広げた血塗られた歴史の狂った美化でしかないという認識に変わっていた。そういう目でアメリカの悪口を言い始めるときりがない。愛好者は日本に多いがハーレーというバイクにも疑問がある。ハーレーは排気量にかかわらずV型二気筒で、だからあの音と振動がハーレーの全てなのだが、たかだかプラグを替えるのにタンクを降ろさないといけないなんて、なんてバイクだ。要するにハーレー乗りは、プラグが摩耗したらバイクごと新しいのを買うのだろう。

 性能じゃかなわないから単なる乗り手のミスを車の設計上の欠陥のように言い立ててトヨタを叩いた卑怯卑劣は言うにおよばないし、何かというとすぐに裁判、そのために日本の優秀なヘルメットメーカー、SHOEIARAIは、アメリじゃ積極的に売ろうとしない。どんなものにも正の側面と負の側面があるが、とにかく北野武が言うように、アメリカが大好きだったわたしの中に、「大嫌い」も併存していたのかもしれない。

 そのアメリカが沈む泥船としての絶望をあらわにしている。考えてみれば1872年にGNPにおいて世界最高となってから140年も「世界一」で有り続けたそっちの方が謎だが、ともかく落日の時を迎えている事は疑う人がいない。

 霞ヶ関と安倍それに日銀は、ずっとアメリカにしがみついていれば日本は安泰だと思っているようでこの期に及んでも80兆円の血税で国債を買うつもりらしいが、日本は民主主義国家なのだから私は日本に帰ったらその80兆円のうち私の負担分はちゃんと払おうと思う。しかしそれは一種の判断停止だという私の思いは消えない。

 購買力平価で中国のGDPはアメリカを抜いた。すでにずっと以前から外貨準備高では世界一である。そして、2018年には経済規模においてアメリカの1.2倍の国家になると試算する人もいる。

 日本はどうなるのか? アメリカの庇護はもうなくなる。人口は減る。異常な高齢化社会が待っている。医療と年金をはじめとする社会保障費はこれからも増大する。安倍は年寄りの流動資産をはき出させようとして躍起だが、もちろんそんなことスムーズにはいかない。スムーズにいったらいったで別な問題が生じる。

 戦争をする? かつての戦時特例法、特例措置のようなものを発動させて、「戦争が始まったのだから悠長に年金なんか出してられない。医療と年金は停止するから戦争が終わるまでお前ら自助努力で生存せよ」とがなり立てるか? 安倍を見てるとやりかねないという気がする。あり得ないと思いたいが、間違いなく政府にはそのシュミレーションもあるはずだ。仮想敵はどこなのだろうか。本当にあり得ない、あり得ないが、昨今のインターネット上の一般ユーザーのコメントを見ると明らかにそっちのほうに誘導されている。怖い。

 イタリアやポルトガルのように、経済「大国」とは言えないし資源もない、人口も多いとは言えないが全世界の人が尊敬と羨望の視線を注ぐ自立した魅力ある国になればいいと思うが、毎年500兆円のお金をぐるぐる廻すことでごく一部の人間がプール付きの家に住みその人達の意向で政治が左右されてきたことを思えば、そうはいないだろうという気もする。(しかし私の発想も貧しいね、どうも)つまりイタリアのような国になろうとすることを許せない人がいる。

 中国には34の行政区があるが、その35番目の省になる?

 海南師範大学の生徒は真面目な顔をして、「冗談じゃないです」という。「今でも日本は技術大国じゃないですか、それに、日本のアニメとマンガとドラマは世界一です。それに医療も。」

 ここまで書いて、話は昨日のブログの記事に戻る。のであります。

 

 20167月に日本に帰ったら、カナダの感謝祭が終わるのを待ってバンクーバーへ行きます。その旅行が終わったら、奥さんと一緒にイタリアへ行きます。わはははは、その時にはもうそのお金がなくなっていたりして。

 ……と、贅沢な事を書き終えて、……哲学の石の上で貧しくポークソテーを焼くのであります。豚肉は1キロ10元でありました。安くて助かります。めでたし、めでたし。

 

« 追われる者は追う者より速く走らないと | トップページ | ポークソテー焼きながら安倍の夢を見る »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589238/60829364

この記事へのトラックバック一覧です: 哲学の石の上で「アメリカ以後」を考える:

« 追われる者は追う者より速く走らないと | トップページ | ポークソテー焼きながら安倍の夢を見る »