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2014年12月 1日 (月)

「いまさら」だが「いまさら」ではない、「地下鉄サリン事件」~子どもを持つ人へ

 思い出すと憂鬱になる事件というのがあります。私にとっては地下鉄サリン事件がその1つです。重苦しい気持ちになるのは、あの事件が、20年近く経った今も、未解決であるからです。

 たしかに、実行犯とされた者は、警察に身柄を拘束されました。裁判も多くは終了し、10人には死刑が確定しました。刑が執行されたかどうか私は知りませんが、一応、事件は終わった、と考えている人は多い。

 しかし私は、今なお大事な部分が未解決だ、と思っています。一体なぜこの事件が起こったのか、わからないからです。首謀者であるオウム真理教教祖・松本千津夫の頭の中が狂っていたからだ、という説明は、到底受け入れることができません。その説明を受け入れ納得してしまった人は、危険な「判断停止」の中に居るのだと思います。

 1995320日午前8時、ということは東京の地下鉄がどこも超満員で運行されている時間帯ですが、その複数の車両で同時多発的に、殺人ガス・サリンが撒かれました。6300人の人が直接の被害を受け、13人の人は亡くなりました。発生箇所の近くに居た人の中には、即死に近い落命を遂げた人もいます。それほど致死性の高いガスだったということです。また、6300人の被害者の受害程度は多岐にわたっていて、破滅的に視力が低下したままの人、たえまない頭痛や恐怖、悪寒に今も苦しむ人などがいます。もっとも悲惨な人は今なお意識がすっかりとは回復せず、ごく単純な母音でしか発語できず、車椅子での生活を余儀なくされています。事件当時ごく若い女性でしたが、今なお彼女の発語は、長く看病をしてきた兄にしか意味がわかりません。とはいえ、刑事事件としては、現在裁判中の1名を除き、解決したように見えます。インターネットのWikipediaを見ても、それはもう過去の事件のように掲載されています。本当にそうでしょうか。

 私は、事件の本質は何も解明されていない、と思っています。この世を救うためには同時にたくさんの人間を殺す必要がある、という松本の考えは、たしかに「狂って」います。救済のために殺す、というのははじめから矛盾しています。しかしサリンガスの製造を含め計画には数十名の人間が関わっています。化学の専門知識のない松本に作れるわけがありませんから、専門家が必要です。人体にどれほどの影響がどれほどの時間で表れるのかを調べるために医者も必要です。法対策や教義の広報のためにその専門家、つまり弁護士や対マスコミニュケーション要員も必要です。それらの人々はみんな専門的な学問を積んだ、実績もある優秀な人達です。オウム真理教事件の本質とは、松本の世界観が暴力的に歪んでいるのは自明のこととして、その命令を受けて粛々と計画・実行した人達がどうして自分達の積んだ学問的成果を、大量殺人のために使ったか、ということです。この事については、多くの「専門家」にしても曖昧な説明しかできていません。逆らえば松本に殺されたかも知れないから、という説明をする人もいますが(実行犯の中には公判中にそう証言した人もいましたが)とても納得できません。それならそれほど危険な人間にどうして絶対帰依したのかという新しい疑問がわきます。また、松本がどんなに凶暴凶悪な人間でも、1人の太った盲目の男です。仮に理性を取り戻し逃走する人間がいたとして、そしてそれを殺害するとして、組織の力が必要です。その組織が揃って松本の世界観を抱くというのも理解できません。

 実行犯の中には、医者も弁護士も化学者もいました。オウム真理教に入信する前には誠実で練熟した外科手術執刀者として患者から深い信頼を寄せられている人もいました。それらの人々は、松本の強制はあったでしょうが、基本的には自分達の意思で、「進んで」殺人ガスを作製、地下鉄へ運搬、袋を破いてガスを撒きたくさんの人を殺し傷つける、という一連の行為を行ったのです。

 私にとっては今なお深い謎、それは短く言えば、「人間の理性とは何か」ということです。法律を守るのが弁護士です。人の命を救うのが医者です。多くの人がそれとは逆のことをして取り返しのつかない被害を個人に、日本という国に、与えました。松本千津夫の「世界はやがて滅びるが、今私の側にいて私を信じている者だけは生き残る」などという荒唐無稽な説法に狂わされ、自分の積んできた学問的実績を投げ捨てた、あるいはその「荒唐無稽」な世界観のためにすすんで差し出したのはどうしてか、私には20年の間、謎なのです。「それは頭が狂っていたからだ」と言う、そう言って事件は終わった、と安心するなら、自分の理性はそれとは違って絶対に狂わないという証明が必要です。それは、できないことです。自分(中寛信)の精神、理性もまた、安定してはいないのだ、だから毎日点検し、なんとかそれを保つために努力しないといけないのだ、と決意して、ようやく、この事件の巨大な謎に立ち向かう勇気がわいてくるのだと思います。

 1997年の時と同様、この事件に対しても何十冊という本が書かれました。私は片っ端から読みました。一番私が共感できたのは、村上春樹の2冊の著書でした。「アンダーグラウンド」ならびに「アンダーグラウンド2・約束された場所」でした。村上は法律からも精神論からもいったん離れ、事件の被害者とオウム真理教の信徒、双方に長いインタビューを試みる、という困難な作業に取り組みました。この2冊に書かれているのは、村上の主観ではありません。被害者と、事件を起こした教団の信徒の、単純な「肉声」です。村上は、なぜこの事件が起こったのか、声高に論じたりしません。ただただ、肉声をたんたんと記録するだけです。

 この書籍を読みながら私に分かったことがあります。

 「物語」を許容する理性の(つまり脳の)構造を持っていないと、時に襲ってくる暴力的な「物語」に対する客観的な判断力は働かない」ということです。

 夜、寝る時に母親が昔話を語ります。「昔々ある所に2匹の蛇の姉妹がいました。姉の方の蛇が人間の男に恋をしました。そこで人間の娘に姿を変え、男の妻になりました。妹の蛇も人間に姿を変え、姉と人間の夫を助けました。しかしある日、1人の僧がこの姉妹を『実は蛇だ』と見破って……」という風に、母は子どもに、昔話を伝えます。

 子どもは、ほんの少し大きくなると、この物語を「物語」として理解します。蛇が人間に恋をしたりしません。蛇が人間に変身することはあり得ません。はっきり言ってしまうと「嘘」です。子どもは、母親から、害のない嘘を聞いて育ちます。それを許容し、体の中に取り込んで生きます。言葉として語られることの中には、しっかりした現実と、嘘とが取り混ぜて存在している、という単純なことを理解します。それのできた人だけが、従ってはいけない危険な「嘘」に全力で抵抗できる判断力を持てるのだと思います。

 「松本千津夫なんて気違いの言うまま、殺人ガスを撒くなんて狂った奴らだ、オレとは関係ない」と、ほぼすべての人が思っています。それならどうして、「この壺を買って西側の窓に飾るとお金がざくざくと貯まります」という商法に多くの人が引っかかって何百万、何千万のお金を失うのですか? それだって嘘です。松本千津夫とその規模・危険度が違うだけです。

 オウム教団の信徒は驚くべき事に真面目で誠実で心優しい人間でした。村上春樹のインタビュー集を読むとそのことが実感されます。しかし心の中に(体の中に、脳の中に)小さな、ほほえましい、許容できる「嘘」が存在しない。だから松本の作ったオウム教団の教義という凶暴な、壮大な「嘘」を危険な嘘と見抜けない。弱いのではないのです、狂っているのではないのです、この世には嘘と真が混在しているという当たり前を前提に目の前の言葉の真偽を計量できない救いがたい「判断の空白」があるというだけです。そしてそれは残念ながら今を生きている私たち全員に共通する(あえてこの言葉を使うなら)脆弱さ、だということです。

 結婚して子どもが生まれたら、ぜひ夜には添い寝をして「昔、むかし、あるところに……」と、語ってあげて下さい。テレビやCDではダメです。お母さんの、お父さんの、「肉声」である必要があります。子どもが成長する社会には実は大小さまざまの「嘘」が渦巻いています。その中には決して近づいてはいけないものがあります。それを見抜き正しい場所に自分を導く力も実はまた「嘘」からしか、生まれないのです。

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