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2014年11月12日 (水)

メールを貰いあらためてコミュニケーションについて考える

 日本で仕事をしておられる高校教師の方から、メールをいただきました。基本的には近況報告でありますが、「全盲の方を学校にお招きし、授業をして貰った」といういきさつが、とても私には刺激的でありました。

 打ち合わせの時からそうですけど、目で見て分かっている情報を「私とあなたとの共通の認識」という、その思いこみ、それをいったん「共通の」認識から外してみることが必要、すると、コミュニケーションというのは全く違った様相を呈する、ということがわかりました。メールを下さった先生は、全盲の方を案内する際、「こっちです」と声を掛ける.掛けた瞬間、自分で「こっちってどっちよ!」という疑問を自分自身に向け、発する。気づく人は偉い。私だったらきっと気づかないだろう。

 想像もする。今回授業をされた全盲の方は他の方もそうなのだろうが白い杖を持ち、外出される。自分だったら? 朝起きる、洗顔し着替えしご飯をつくる、そこまではできるかもしれない。しかし家を出て? バスに乗り? どこで降りて?「自分だったら家から一歩も出なくなるかもしれない」と思う。

 大事なのは、思いやり、いたわることではない、ということに私は気づく。何かを共有していると思って私たちはコミュニケーションするが、その前提を疑えないのはどうしてだろう? メールをくれた高校の先生は、外国人との英語でのやりとりを例に出し、大事なことを私に気づかせる。

 相手の言っていることはたぶんこうだろう、と思って、私たちはそれが命に関わらなければハイハイと言っておく。私の場合それは中国人であり中国語である。市場で豚肉を買う。商品とお釣りを渡しながらお店のおばさんは何か言う。何を言っているのかもちろんわからない。でもたぶん、「奥さんにおいしい料理を作ってやんな」とか、「明日はうちにお店は休みだかんね」とか、「あんたなんでスキンヘッドなんだい」とか、その程度のことだろうと思う。ハイハイとうなずき、手を振って別れる。もちろんおばさんも笑顔で手を振る。まさかおばさんが、「この豚肉はネェ、肝炎ウィルス持ってるんだよ、だから1キロ10元で売れるんだよ」なんて言うわけがないだろうと思う。

 コミュニケーション不全であります。

 でもその不全は、実は、日本人同士でも、あったのであります。だいたいこんな意味で相手は言ってるんだろう、ハイハイ、というコミュニケーションの実質部分の欠落は、実は日本人同士の中で起きる時、本当の危機を生み出すのかもしれない。それが今、日本で起こっていることなのもしれません。

 

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