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2014年11月23日 (日)

写真集「活着」を見ながら

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 毎日、大学の裏門を通ります。すぐそこに私が日用品を購うマーケットがあるのであります。私は絶対に家に切らさないようにと心がけているものがあり、まぁ飲料水や米は当然として、「蜜柑」があるのであります。年がら年中柑橘類が食べられるのは海南島のありがたさで、少し減ると私は裏門前のマーケットへ出かけます。マーケットの果物売りさんは私ととっくに顔見知りで、機嫌のいい時には大量の「おまけ」を私にくれます。

 いつものように45斤の蜜柑を買ってふたたび大学校内に戻ろうとして。

 門柱そばに、書籍売りさんが店を広げている、そこで私の足が止まりました。

 「活着」という書籍が売られているのを見たからであります。

 私の乏しい知識には時に不足や間違いがあるのかもしれませんが、あえて勇気をもって言えば、それが某超有名作家の著作であるなら国内での販売は禁止されているはずであります。文かだ胃拡めいのさなかで農村部の庶民がどんな暮らしをしたか、どんな辛酸をなめたかを一種ひょうひょうとした筆致で活写したこの小説は映画にもなりましたが、小説も映画もこの国では入手不可のはずであります。

 その「活着」が、大学の門前で売られている?

 私は蜜柑を手に持ち、10mほど行きすぎてから戻って手に取りました。中国の書籍売りさんはさかんにこのように青空の下で商います。どうやって仕入れたか永遠に謎というほかない数冊、数十冊の書籍をタタミ1枚、あるいは半枚の板に載せ、もしくは直接路上に置き、通行人に売り、それがなくなるとその日の営業を終了するのであります。私は過去にこういう青空市で、読めもしないのに村上春樹の「那威的森林」を買い、莫言さんの「蛙」を買い、三毛さんの「サハラの暮らし」を買い、一次帰国時に荷物の整理におおいに戸惑ったことでありました。

 書籍は別れた恋人の思い出と同様、捨てるに捨てられぬものの1つで、できれば買わないですごしたほうがいいのでありますが、それにしても、この路上で、「活着」?

 売り子さんは(20歳そこそこの男性だった)私が、いったんそこを通り過ぎてまた戻ってきて書籍を手に取っている人間であることをちゃんと認識していました。

 彼が私にかけた言葉を、たぶん私は長く忘れることがないだろう。

 

 「その本に興味があるのか? ユイファ(来日歴のある有名作家)の『活着』だと思っているのか? それとは違う、でも関係はある。」

 

 でも、関係はある?

 私は、質問しました、大学生みたいな売り子さんの答え「25元だよ」

 即刻、買いました。実際には、それは写真集なのでありました。中国に生きる、違った活きる庶民の生態活写であります。農民、野菜売り、坑夫、孤児、病人、山上の羊飼い……。

 1ページ1ページ、時間をかけて眺めました。地震の被害者を地中に埋める兵士の平常をよそおった、それでいて万感こみあげていることがよくわかる表情、親に去られた1人暮らしの少年の敵意とも、逆に哀願ともとれる、顔。初めて漁船に乗った男の、絶え間なくおそう嘔吐の発作に弱り切った顔……。

 すべてのページを人間の「顔」が、埋め尽くしているのであります。

 117ページ、「没有身分的群落」という章で、私の、ページを繰る手が止まりました。

 四川省の大涼山の深みに、人に知られていない群落がある。人口4000、その半数が、戸籍に登録されていない、「黒戸」と呼ばれる人々である。彼らは教育を受けず、識字せず、政府のいっさいの庇護を受けず、貧窮のうちに人生を終える。この村に呻呻という65歳の老婆がいる。彼女は毎日6時間をかけて麓の村までを歩き、薬草の原料を売る。今日、彼女が手にしたのは10.5元だった。

 

 ……なんなんだ、この世界は。

 私は、ごくごく近代的な都市、海口にいる。真夜中まで電気が通じ上水道が存在しガスがあり携帯電話を使う。しかし同じこの時(写真集の写真が撮られたのは2012年だ。つまりつい最近だ)山間部の寒村では、小学校の教師が毎月200元(!)で子どもたちに算数を教える。その給料でさえ時に遅配するという。その教師の座右の銘は、「孩子是我们的太阳!」……子どもたちは私の太陽だ。

 なにこの世界は?

 私が覚えたのは、感動ではない、怒りだ。まったく、それは、始原的な、怒りだ。私は怒っている。怒る資格はないが、それでも怒っている。

 青空の下でこの書籍を売った青年は私に、こう言ったのだった。

 「ユイファの『活着』だと思って、手にとったのか? それとは違う、でも関係は、ある。」

 関係はある?

 私は混乱する。ユイファ(これを漢字で書くと私のパソコンのIPアドレスがブラックリストに載るかも知れない)さんの「活着」との共通点?

 あるとするなら、中国で行われるすべての表現活動が、ひとしなみに関係を持つのではないか? この書籍を売った路上のお兄さん、あなたもだ。いまだ電気が通じず上下水道など見たこともないという人がすべてであり戸籍を持たず一切の政府の庇護を受けずというか政府があるということすらもしかしたら知らず文盲のまま一生を終える人が居る。それらの人は戸籍を持たない人、「黒戸」と呼ばれるが、たぶんその人には黒戸以外の生涯そのものが、その可能性が、あらかじめ奪われてある。

 

 1960年代のあの、ケザワ・アズマの引き起こした一大ムーヴメントは何だったのだ。トウ小平の「豊かになれる者から金持ちになれ」政策はなんだったのか。他ならぬ現在の、経済成長は何なのだ。何より何より、この目もくらむような差異が当然生み出さないでは居られない暴動が、一青年による路上の25元の商い、という矮小に終わるのはなぜなのか。

 

 時に、「不明」は「怒り」を生むのであります。その怒りを抱きしめて生きたい。APECのあいだだけ河北省の生産活動を停止して青空を演出したその行為が全中国で「APECブルー」という名で呼ばれた。それは笑えない茶番だが、いま私はこの写真集を見ながら、茶番ではなかったのだ、と思う。

 この世界が、今の中国を、支えているのだ。なんという脆弱な繁栄だろう。

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