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2014年11月22日 (土)

「はい」という応答の感動詞は実は中国語だった!?

 ハルピン時代は、1つの大学に5人(ある年度は6人)の外教がいました。現在私が勤務する海南師範大学には、私を入れて2名。私はどういうわけか会社員時代も教員時代も、自分の持って生まれた実力に比べれば極めてラッキーなことに、上司と同僚には恵まれました。先輩外教、W先生は本当にすばらしい方なのであります。929日の入居時、直ちに始まった海南島カビ戦争がどうにか引き分けで終わったのはW先生並びにその奥様の献身&アドバイスのおかげであります。今も何くれとなく気に掛けて下さることに、本当に頭が下がります。

 そのW先生に紹介されて、海南大学の先輩外教、F先生とも親しくお話をさせていただくことができました。1980年代からさかんに(仕事の関係もあって)中国に来られて、33の州・自治区・特別行政区の中でまだ訪問していないのは3省だけ、というものすごい先生です。いつ会っても、そのお話は新鮮であります。

 W先生のお宅で、コーヒーをいただきながら色んなお話を拝聴したのですが、「はい」というのは中国語だという説があるのだが、という話題がとてもとても新鮮でありました。

 20141121日中国時間1512分まで、私はこの「はい」が日本語と信じて疑わなかったのであります。ハルピンに入ったばかりの頃は南の島の国有化の問題で中日関係が緊張、生徒は私と一緒に出歩く際、「決して人混みで私に『はい』と返事しないで下さい。日本人だと一発でばれます」と言ったものでありました。やむなく私は、別の返事をしたものであります。

 「はい」は実は中国語?

 すぐにW先生が資料を見せてくれました。なるほど、広東語で肯定の返事をするのに「係(はい)」を使う、と書いてあります。

 F先生は、「たぶん『はい』という返事はせいぜい300年かそこらの歴史しかないはずです。それまでは別の肯定の返事が一般的だったのでは」。

 私見のない私は、ひえぇ、と敬服するしかありませんでした。

 更に広東語の「はい」が、盛んに学生の使う「(へい)あるいは嘿嘿(へいへい)」というくだけた肯定の返事になったのでは、という風に話は進みます。

 私の知る限り、記述の中に現れる最初は宇治拾遺物語の「児のそら寝」であります。比叡山にいた78歳の男の子は、坊さんから「ぼた餅ができましたよ」と言われ、「えい」と返事をします。そののち、別な記述で、「やぁ」「おい」「おう」などの返答が出て参りますが、なるほど「はい」は見えない。平安時代、H音は今よりF音に近かったから「ふぁい」だったはずだ。更にその前は「ぱい」だったはずである。井上ひさしの持論によれば、肯定の返事をする時に唇を閉じるというのは不自然であります。

 うう~む、ここはしっかり研究しよう。

 帰国したら私にはやりたいことがいくつかあり、義経記の著者をはじめとする考証と中国の若手作家、孙睿さんの「我是你孩子」の日文訳、などですけど、「はい」の考察、というのが加わりました。

 長生きは、時に悪いものではないのであります。はい。

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