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2014年11月17日 (月)

1960~80年代を生きた者の責任について

 日本が、たとえば日経平均で39000円をつけるような、経済の狂騒期はもう戻ってこないのだと思います。

 中国の経済成長が、単純に海岸部と内陸部との格差に負っているように日本も自国と東南アジアをはじめとする地域との「格差」によって国際分業と市場運営を果たしてきたのだとしたら、格差の消滅の日が来たら経済の隆盛は終わるのが普通だと思います。政治家も、「日本に追いつき、追い越せ」と言っていた諸国がそのスローガンを成功させたら日本の勝ちは終わるととっくに知っていたはずです。

 19973月から5月にかけて、神戸で凄惨な事件が起こりました。家庭はどうなっている、学校は何をしてるんだ、とヒステリックに叫ぶ人がいて、その中には「少年は無罪だ、教育関係者が総懺悔して罪を負うべきだ」と発言する、君和田和一みたいな相当な脳の異次元漂流者もいましたが、今では、問題は学校なんかにはないと、多くの人が知っています。私たち、子どもを育てる大人の多くが迫り来る「貧乏」をイメージできず(正確に言うとそれは「貧乏」ではないのですが)自信と誇りを喪失し、その不安が子どもに伝わっている、子どもたちは制御の能力を失った大人を直視しながら自らの内的衝動をコントロールできない、それが原因の1つだと思っています。もちろん、若年者の凄惨な犯罪、想像力の暴走の原因はいくつもが輻輳していることを、私は承知しています。

 でも私たちは、君和田や大江健三郎のように判断停止に陥ることなく、この時代の転換期を、乗り切らないといけないのだと思います。ちなみに大江がどうして判断停止だというかというと、何かのディスカッションで中学生から「人が人を殺してはいけないはどうしてですか」と問われ、「そういう質問をすること自体が壊れているというのだ」と応対したからです。およそ、ノーベル賞を取った作家の発言とは言えません。でもこの程度の「大人」がいっぱいいました。今もいます。若年者の、増大するばかりの不安に対処できるわけがありません。

 ついでに言うと、大江が判断停止に陥ったこの大事な質問に、井口時男はみごとに答えています。

 私たちの多くは生産社会から退場しました。そろそろ人生からも退場します。でもその前に、日本が一番良い時代を生きた層として、これからを生きる若年者の不安を解消する努力をするべきだと思います。「あくまで経済の活性化だ」と叫ぶ政治家と財界人は次第に相手にされなくなります。健全だと思います。(でも選挙制度がご覧の通りなのでなかなか退場しようとしませんが)経済の隆盛期、私たちは日本人だ、というだけで自信と誇りを持つことができました。終戦から80年代までの生産活動を担った人たちの偉大な成果だったと思います。日本人としての目標は均一で、ぶれることがありませんでした。しかし、どんな国家も、早くて4050年たてば衰退します。中南米のいくつかの国とフィリピンを支配したスペインは、現在どうなっていますか。おなじ地域で覇権を争ったポルトガルは、現在、EUの中でどういう位置を占めていますか。モロッコをはじめとする北アフリカの多くとベトナムを管理支配したフランスはどうですか。多くの国は、すべての植民地を手放したあと、自国の経済の不調にあえいでいます。失業率は10%前後と高く、物価の変動に悩み、若者による暴動が時折起こり、それはかつて産業を支えた移民に対する敵視という性格を帯びて社会を不安定にさせています。様相は違うけれど、そうだとすると、急激に経済大国の地位へ上り詰めた日本だけ特別な経過をたどる理由がありません。そもそも、資源の全くない、アメリカの25分の1しかない国土面積の小国が一時的にではあれ世界一の外貨準備高を誇ったのが異常なのかも知れないのです。どの国の人々も豊かになろうと必死の努力をしていて、現在「豊かでない」国ほど、上昇の余地というかマージンが広いのだから、日本が「相対的に」貧乏になるのは仕方がないのじゃないでしょうか。

 私が、1日に25人しかいらしゃらない(しかもその大半は親戚・知人)ブログでこんなことを書かないでも、すべての日本人が実は知っています。知っていても不安が消えないのは、対処の方法がわからないからです。経済人はもうあてにはなりません。20年ほど前に森永卓郎という無責任な経済学者が、「年収300万円時代を生き抜く方法」という本を書きました。読んでみると、単純に日本人に対し、節約を説くものでした。安くてもおいしい物を見つけろとか、贅沢な時代を忘れろとか、それが主な記事でした。更に、森永がそれを書いてから20年、もはやその「300万」の年収すら、おおくの若者には夢のまた夢になりました。今、100万円台の年収であえぎながら生活している人もおおぜいいます。全く収入のない人もいます。それでも大規模な暴動が起きないのは、それら低所得者層の親が資産を持って生活の面倒を見ているせいですが、近いうちにそれもなくなります。

 私は、色んな機会を見つけては若い人に「個人になれ」と、言い続けてきました。貧乏が怖いのは、おいしい物が食べられないことでも、自動車が買えないことでも、住み心地がいい家に住めないことでもありません。「誇り」の喪失が怖いのです。私は日本人みんなが貧乏な時代に生まれ、育ちました。ある程度の貧乏なら、人は耐えられるということを知っています。実際に耐えてきました。私の母はある冬の日に蜜柑の皮を煮て子どもに食べさせました。野菜の代わりです。味をはっきりと覚えています。食べられないけれどそう言えない母への申し訳なさはそれ以上に覚えています。日本が経済大国になった時、その喜びというのは豊かな暮らしができることでも、ありましたが、それ以上に、日本という国に生まれて、生きている、その「誇り」だったのです。たしかに暮らしは、変わりました。蛇口をひねればお湯が出てくるような生活は快適でした。しかしそのもっと大きな喜びはそれを達成したという自信、誇りだったのです。それも、たったの30年です。日本人としての誇りが、この国に生まれ育ったというだけで約束された時代があったのです。だからこそ、道にゴミも捨てないし約束は守るしすべての人が食堂を出て行く時にお金を払いながら「ご馳走様でした」と、お礼を言うのです。日本人であること、その結束の中に自分が生きているということ、それが私たちに誇りを与えているのだから、「結束」を強化するために自分も参加するのは当然のことでした。1995年の阪神淡路大震災や20113月の東北大震災の時の日本人の整然とした協力、救助・支援活動も「誇りある民族の1人」として象徴的な姿ではなかったのでしょうか。

 それが今、過去のものとなろうとしています。日本人であることが、海外からの侮蔑やもっと恐ろしいことに無視で対応されるような時代が来るとしたら、経済の隆盛を誇りに生きた「日本人」のマインドのままで、耐えられるわけがありません。その時代がそこまで迫っていることを皮膚感覚で気づいているからこそ、ある種の若者は無軌道化したのではありませんか。ハロウィンパーティーの会場にゴミを散乱させたまま立ち去るとか、バスや電車で、お年寄りにも妊婦にも席を譲らないとか、常に何となく苛立っているとか、大人に対して非生産的な反抗を繰り返すとか、そこに(も)原因はありませんか。もっと恐ろしいことは、こころ内深く発生する凶暴な衝動を緩和できず、不可解な殺人・暴力行為を頻発させる年少者を本来制禦するはずの大人の中に、日本人としての誇りは失われつつあるのではないですか。昔の戦犯を祖父に持つ首相が内閣を率いて奇妙に人気があるのは、失われようとしている日本人の誇りを、取り戻してくれるのではないかというまったく根拠のない期待がメディアによって増幅されているからという側面がありませんか。日本人の中に、安倍を見上げていると、再びまた自分は「日本人」としての結束の中にいる、と感じることができるのではないかという錯覚はありませんか。

 しかしさすがに、「何かがおかしいのでは」と考える層が出てきます。アベノミクス、といって騒ぐけれど、どうして円の価値を切り下げてインフレを招来し物価を上げるのが国民の幸せなのか、誰もわかるように説明しないのはどうしてか、その不思議に気づき始めます。そもそもそれは国民を幸福にする方法なのか、どうか。確信が持てません。

 ようやく、「個人」としての戦略を立てないといけない時代なのだ、と私は気づきます。1990年までは生きる目標も誇りも、日本人であるという単純な事実が、約束してくれました。歴史上かつてない速さで復興と経済発展を実現させた国家の民なのです。でもそれは他のすべての国がそうだったように、終わりました。日本人は、個人としての生きる目標と、個人として誇りを持てる何かを、「自分で」見つけようとしています。それは昔のように経済大国になることではないし(絶対に不可能です)、戦争に勝つことでもありません(もっと不可能です)。国家的な目標が消滅した今、「個人の目標を持たないとこれからの人生は生きにくい」という当たり前のことに、私たちは気づきつつあります。長く、日本人は結束性が強いと言われました。何かというと固まって、みんなで同じ事をしたがります。1人だけ違う考えを持っていると生きにくい、みんなと同じにしないと、とつい考えてしまう国民性を持っています。戦争、敗戦、戦後の復興、国民が一丸となっての経済大国化、そこまではその「集団主義」はよく機能しました。しかし衰退してゆく事が明らかな時、日本人であるということがそれだけでワタシを支えてくれることはあり得ない、と気づきつつあります。

 個人としての戦略が必要だ、と身をもって教えてくれたのは、最初に、スポーツ選手でした。個人の身体能力で人に感動を与えるのですから当然かも知れません。野茂英雄、中田英寿、すぐれたアスリートが相次いで海外へ出ました。日本的結束からいったん外部へ出た人たちのことを、最初、メディアは裏切り者であるかのように報じました。しかしあっというまに彼らは英雄となりました。続いて、これも当然のことですが、芸術家が同じ事を示しました。北野武という映画監督は、だから日本人の感受性に向けて映画を作りません。彼の作品は常に海外で高く評価されます。「個人になる」というとても大事なことを、ここにきてようやく、スポーツ選手でも芸術家でもない一般人も、気づき始めました。みんなが行くから大学へ行き、みんなが見るから紅白歌合戦を見る、そういう時代が急速に終わろうとしています。みんなではなく自分はどうするのか、自分自身に向かって問う、そういう時代です。そういう「層」が日本国内である厚みを持つ時、はじめて社会は安定するのだと思います。このムーヴメントは今始まったばかりですが、私は希望を持っています。

 今、中高年と呼ばれている人は、死ぬ前に、自分の努力した昔のことをちゃんと語って下さい。注意して、「昔は良かった」というフレーズは使わないで、語って下さい。自分が何を消費し何を生産したかを内省し、来る時代に対応する勇気を若者に持たせて下さい。「個人として生きる」日本人が必然的に必要になる時、それは今までの日本人が経験したことのない新しい群像、じゃなくて一人一人であることを、期待を込めて語って下さい。個人としての自覚と責任において多くの人が生きはじめる時、一時的・局所的なモラルの喪失状態も解消され、新しい日本が誕生することを語って下さい。かつてモラルは「外部」が示しました。本来それは「内部」にあるべきだったし、それは将来において可能であることも、語って下さい。

 たしかに、年収が100万円です、という人は単純に不安かも知れません。しかし、日本が今より遙かに貧乏だった時、ホームレスと呼ばれる人は今とどっちが多かったのですか? 同じ程度だったとしたら、おかしいのではありませんか? いくら経済が低迷と言ったって、流動資産は「三丁目の夕日」の時代よりは多いでしょう。その時代、今と同程度のホームレスの人しかいなかったとしたら、何らかの緊急避難装置が、当時は働いていたということではないですか? その筆頭が、家族制度ではなかったのですか? だとしたら、経済の隆盛の中で「うっとうしいから」と消えていった日本的共同体が、有形無形にまた機能を始める、ということではないのですか? 「昔は良かった」という台詞はいかなる意味でも間違いだけど、生活要素のいくつかはそこに回帰するとして、それは案外自然な、別な形の「日本の姿」ではありませんか?

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