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2014年10月 7日 (火)

佐世保の少女の父の死亡~遅すぎる私の「反省」

 佐世保の事件の少女の父親が死亡したという報をインターネットで読み、いったん唖然として、次に私を見舞ったのは無力感なのか反省なのかわからない変な脱力感でした。

 事件が起こった時私たちは、いつもこの種の事件が起こった時に犯すのと全く同じ間違いを、無反省に犯しました。「この少女は私から、私の娘から、私の近親者から、私の教室にいる生徒たちから、うんと遠いところにいる。特殊で異常な1人なのだ」と思い込もうとし、更にそれを自分自身に納得できるように「証明」しようといました。証明できないとしたら(できるわけがない)、自分にそう思わせてくれる記事やエッセイを探し、安心しようとしました。これは、ある程度有効でした。彼女の父親の挙動には、なるほど、理由(の、ようなもの)を作文するに足る個性が、備わっていたからです。少女が慕っていた母の死後わずかな期間しか経ないでの再婚とか祖母の養女にするとか早い段階での1人暮らしとか、そのようなことです。私たちは、そこにこそ原因がある、この事件の少女の感性を醸成したすべての要因がここにある、と、言い立てました。

 私たちは安心を得ようとしていたのです。私たちは言うも恥ずかしい当たり前のことですが1995年の神戸の少年を恐怖したようにこの少女のことも恐怖し、その恐怖から自由になるためにはどこかに、自分とは無縁な(と、思える)エキセントリックな要因がなければなりませんでした。

 少年による猟奇事件が起こる時必ず犯す間違いを、今回も犯したわけです。父親の非を言い立てる、あるいは非を言い立てる記事を読む、そのことによって納得・安心しようとする私が、いたわけす。

 何度もこのブログに書いたように、佐世保の高一も、少し前の佐世保の小学生も、綾瀬の少年群像も黒磯のナイフ少年も、私からほんの少ししか離れていない「そこ」にいます。私はもう63歳になりました。子どもは302725になりました。表面上は安定しています。しかし彼らもこれから子どもを産み、育てることになります。私はいつも、子どもができたらその子が小学生であろうと中学生であろうと高校生であろうと「安定」した存在であるなどと思うな、常に安定した我が子がいて不安定な個人ないしは「関係」が自分とは外の世界にあるなどと思うな、と語ってきました。常態として安定などしていないのが個人であり関係性です。それは我が子でも同じであります。自分の子どもにだって危機感を持つ。それは「信頼しない」ということではない、と思い、言ってきました。「まぁ異常な事件を起こす人がいるものねぇ、でもお前は普通の子でよかったわ」と言うとその瞬間親子の間から危機感が消えます。それは「判断停止」であって「信頼」ではない。実はもっとも危険なことであります。

 誰だって自分の子どもに「危機感」なんか持ちたくない。じっくり考えてその「危機感」なるものが立ち上がると(繰り返すがそれは「不信」ということではない)とたんに私たちは不安になる。何でもない日常の挙動の中に、肥大した想像力の影が差す。でも、それとこそ、向き合わないといけなかったはずであります。

 肥大した想像力。

 それにより17歳のマルコ・ポーロは東方を発見し、エジソンは電球を作り、湯川博士は中間子理論を打ち立てノーベル賞を取り、アインシュタインは核分裂を誘導する式を作った。「それとこれとは違う」というかもしれない。当たり前だ、違う。しかし肥大した想像力という言葉を使うならそれが自動的に私たちに想起させるエネルギーという点で同じだ。少なくとも共通点がある。1995年の神戸の少年だって少なくとも「表現者」では、あったではないか。

 私たちは佐世保の少女が怖かった。実は、彼女が持っていた何かと等質なものが「みぢかに」あるのではないかという、心深いところにある「予感」が、恐怖を生み出したのだ。その恐怖を消すために父親をバッシングする記事をある時期、私たちは愛好した。はじめからそんなことは無効だと指摘する人はあまりいなかった。

 もう、いいかげんにしないといけない。

 

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