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2014年10月 2日 (木)

佐藤泰志「そこのみにて光輝く」を読んで~いつになく穏やかな感想文

 佐藤泰志「そこのみにて光輝く」を読み終えて、「なんでっ」と叫んでしまいました。

 中国の最南端の島、海南島の海口市にあるアパートの一室で、文庫本の最終ページが開かれたままのを持ちながら、「なんでだっ」と、叫んだのであります。アパートの表で遊んでいた小さな子供が、一瞬、黙りました。

 なんで、これほどの作家が、これほどの人物像を空想し文字に描き出せる作家が、そこにしかない世界を、光り輝く形で私たちに提示ししっかりと感動と誇りを提供できる人が、なんでなんで、なんでなんでなんで、たったの41歳で死なないといけないのだ。

 移動動物園でも海炭市叙景でも感じなかった戦慄を、私はこの小説には感じました。もちろん、この2作をはじめこれまでに書かれた作品がつまらないというのでありません。この作者にしてこの小説が際立っているでしょう、という感想を持ったのであります。

 たった41歳。

 「創造者であるがゆえの苦悩を知らないで勝手なことをいうな」と言われるかもしれないが、この私のためにはもっと生きて、もっと私の人生を励ましてほしかった、そのように……特別にこの本に対して……思ったのであります。

 登場人物の、なんと鮮烈なこと。なんとくっきりとした人物像であること。

 39歳で死んだ今となっては私にはあまり価値のない作家さんは……まぁ作品はすべて読んだけど……ファンである若い作家志望者に向かい、こう言ったそうだ、「小説で人物を描くというのはね、生木を切ってきてそれで仏像を彫るようなものなんだ。こつこつ、こつこつ、ノミを当てツチをふるい、木を彫る。堅い木なら堅い人物像ができる。君が選んだ木は、少し柔らかかったようだ。(大略)」

 それを今回信じるとするなら、主人公達夫、ヒロイン千夏の、なんという「人物像」の「堅さ」だ。この、堅い実在感はどうだ。読みながら、文庫本を持つ手が震えて止まらない。上の「生木を彫って人物像を彫る」発言をした作家は晩年、名作を書いた。なるほど、葉蔵という際だった人物像を、作家は得た。しかしそこには常に、作家自身が寄り添い、形態を点検し助言した。登場人物に生命を与えるのに、上の作家より佐藤泰志のほうが苦労が多かったかもしれない。達夫も千夏も、その人物像は佐藤の実生活の中になんか、ないのだから。

 力業とはこのような作業のことを言う。

 斜陽の町の崩れかけたバラックで、老いてゆく夫婦とその娘、息子が生きている。老夫婦の夫の方は病気のせいか怪我のせいか、脳に損傷を負った。性欲が止められない病気だ。昼間から妻の肉体を求めてあえぐ。妻はある程度までは自分で応じたが、やがて体がもたない。「死ぬまでの辛抱だから」と、母に代わって娘が、措置を引き継ぐ。

 なんという親子だ。なんという世界だ。娘は夜は盛り場で働く。表向きは酒場だが求める客がいれば店の奥で売春行為にも及ぶ。しかしこの女性は奇妙に清潔で誇りを持ちあらゆる人間生活の営みを、その美しさや矛盾を、清冽な光で照射する。かつてこのような女性を日本文学の中で読んだことがない。あえて言えば中上健次の紀州シリーズの中に出てくるかもしれないが、佐藤泰志には中上には有った根源的な問題点「共同体への甘え」がない。

 中上のファンは言うに違いない。日本的共同体の「甘え」を撃つために中上は作家になったのだ。どこに甘えがある? ……いやいや、議論にならない議論はやめよう。村上春樹さんも、「芸術家とは冗長性を回避する資格を持った者のことだ」とおっしゃった。お? 私はいつ芸術家になったのだ?

 それはそれとして。

 ヒロイン「千夏」はとにかくすごい。父と酒場にやってくる男と、どちらにも慈母のようにその豊かな肉体を与え、それで人間と人生を裁量する目が「堕ち」ないとしたら、それらを相対化するに足る「人間の誇り」が、この女性の存在をなじる平凡な世界の女性のそれの何倍もの厚みで、内在していないといけない。誇りを奪われる状況のもとでなお人間世界に屹立し菩薩のように男たちを癒やすためには、奪われる誇りの何倍もの量の、「奪い取ることの不可能な誇り」を、あらかじめ持っていないといけない。

 この女性が男を引きつけないわけがない。

 で? これほどの小説を書く人がどうして41歳で死んだか?

 芥川龍之介は35歳で死に葉蔵君は、ブー、太宰治は39歳で死んだが時代が違う。この両者は日本的共同体に圧殺されたのだが佐藤泰志さんが死んだのは時代が違う。もうこの珠玉の文章芸術家を圧殺するパワーなんか共同体にはなかったはずだ。1990年、日本的共同体と個人とのしがらみを古来のやりかたでのんびりと描写するだけの「作家」はとうに仕事なんかできなくなり、だからこそ旧来の「大家」は姿を消した。日本的共同体がそのエネルギーを持っていないと小説を書けなかったタイプの作家は、だからこそ東京都都知事にでもなるほか、なかった。とても哀れだ。しかし佐藤泰志の小説世界の美質は、共同体が崩壊したからこそ、「個人」を照射して存在感を増すもののはずだった。

 わからない。なんでこの作家が死ぬのか。芥川や太宰と違い、作品に「死」の影がない。もっと言えばそれへの傾斜をエネルギーに木を彫り続けた作家の苦悩とは別の苦悩を生きた、新しい作家が、佐藤泰志さんの中にはいた。

 好きな作家は全部読みます、が主義の私として残念でならない。41歳と言えば、村上春樹がようやく「ダンス・ダンス・ダンス」を書いた頃で、まだ「ねじまき鳥」も書いていない。41歳の村上龍は、「五分後の世界」を書いたばかりだった。「イン・ザ・ミソスープ」で、「半島を出よ」で、危機感を失った人間が没落してゆく国に無反省に生きている、という転倒を激しく撃つのはもっとあとだ。

 人物経歴を読むと、どうしても「三度芥川賞候補になりいずれの機会にも落選し自殺した」と、解釈できてしまう。冗談はやめてくれ、1976年の「限りなく透明に近いブルー」で、芥川賞の役割は完全に終わったのだ。それ以降の作品は全部ギャグでしかない。「共食い」や「苦役列車」が、あるいは「豚の報い」が、芥川賞の無効性を笑い飛ばしたギャグじゃなくて何なのだ。さらに、この賞は「三丁目の~」映画で、漫画にまで堕落したじゃないか。そもそも1990年、もう芥川賞なんて取りに行くもんじゃないと、これほどの作家ならわかっていたはずだ。誤解を招く書き方はやめてほしい。

 この人をよく知る人が、いわた書店の店主さんだ。

 「どんな人だったんですか?」と聞いたことがある。

 社長は「うう~ん」と言って、考え込んだ。

 答えを聞くためには一晩かかるだろう。

 いずれにしても私は納得なんかしない。できない。

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