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2014年9月22日 (月)

イスラム国、イスラム教、あんがいな「距離」が?

 日経新聞を読んでいると、世界が全く違って見えてきます。政府のとるある政策が、どの企業にもどの「個人」にも同様に暮らしを良くする措置として機能するわけではない、という……考えてみれば当たり前の……ことが、あらためて納得されます。消費税10%をいつ実施するか、そもそも実施するかしないか、ということが、経済産業研究所の理事長・中島厚志と(国際社会との約束だから絶対にしないといけない、といっている。誰が誰となんのために約束したんだよ)セブン&アイHDの鈴木敏文とでは全く違うことも、わかる。鈴木は、そもそも今は飽和の時代であり、支出を控えようと思えばかなりの余地が家庭にあるのだという。

 「そもそも、家のタンスの中は服があふれている。」

 なるほど、うちの奥さんはしばらく前から、全く服を買わない。私の方だって、「あなた、そろそろあなたの秋物を買わないと」と言われると口から泡を吹いて床に倒れるほどの買い物嫌いなので同様だ。「来年10月にまた消費税が上がります。最終的には17%程度にはしないといけません」とか言われると、防御防衛の心理が働くのは当たり前だろう。

 円高を心配する声も、静観してOKという意見も、日経は両方をちゃんとわかりやすく紹介している。円高は日銀の規制緩和によるものではなく、アメリカが金利上昇をはじめとするドル高政策をとっているせいだということも、私みたいな全く知識のないものにちゃんと理解されるよう、説明されています。そうだとすると、今は加工資源を輸入に頼る製造業の方々は大変かも知れないが、いつまでも続くわけではない、ということがわかります。アメリカの金融政策は超大国のくせに一定せず、一時は(1990年代ね)「ドル安で行こう」と言って実行したこともあり、結果的にそれが遠因となって自動車産業を衰退させることになりました。そのいきさつはジム・ロジャーズが「投資冒険家世界バイク紀行」で解説しています。と、したら、今回の金利高も永続しないに違いない。そのように考えると、いつまた通貨買いは円に回帰するかわからない、とも思えます。

 日経新聞は宅配されず、毎日近くのローソンまで買いに行かないといけないのですが、どうもそのほうが、真剣に読むことになるようです。

 アメリカといえば。

 オバマはシリアの化学兵器問題をロシアに丸投げしたくせに「イスラム国」問題では主導権を握りたがり、それなのに「地上軍は派遣しない」といって国内の軍関係者に「今からそれを言う奴があるか」と反発され、かといって地上軍を派遣すれば国内にあっというまに厭戦気分が広がるのは明白で、これからも決してその分裂病的症状はやむことがないでしょう。あえてイスラム国問題を考える国際会議に出席を避けた(招聘されなかったという説もあるが)岸田は、もし意図的にそうしたのならなかなかのくせ者というべきです。

 いずれにしてもアメリカは暴走と迷走をこれからも続けることになるでしょう。その国の通貨がいまちょっと買われているからと言って「えらいこっちゃ、円の行方は」ということにはならない。名前は忘れたけど、「ドルは130円まで上がりそこから暴落する」と言っている人もいる。まぁ私は、「投資家」という人種が、火星人や金星人と同じくらい理解しづらい。その気になればいくらでも印刷できる紙を、いっしょうけんめい買いあさる心理というのがまったくわからない。

 更に、アメリカと言えば。

 有志連合への参加国を募集中。

 中国がこれへの参加を検討しているという小さな記事がありましたな。

 「悪夢」という2文字熟語が頭の中で何度か点滅しました。

 せっかくアメリカに迫る大国になったのだから、そんな、自滅行為に手を染めるなんて。

 まぁ、参加はしないでしょう。インドを上海協力機構に引き入れることが当面の課題でしょうから。

 

 ここ数日、私の中に、「イスラム教」と「イスラム国」の意味する実質の中に、あんがい、距離があるのではないかという疑問があります。近日中にその回答が得られるでしょう。

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