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2014年9月24日 (水)

いきなり見えてきた「海南島での日本語授業」

 86日に中国総領事館で「できている」はずのビザの「受け取りを待って」えんえん7週間が経過しました。ついに、「もう待たない。101日の時点で何も連絡がなかったら、別に職を探す」と決意し、家族にも宣言し、実際に仕事を探し始めたのが昨日の夜。

 日本国内やベトナム、台湾(後に無理だと判明)などで、日本語教師ができないか、あるいは日本でジャガイモをむいてコロッケを作る工場でアルバイトするか、資格を取って工事現場で旗を振るか(あっというまにダンプが事故を起こしそうだ)といろいろ考え、過去のエスタニュースも全部見て、「よし、砂川市内のパチンコ屋さんで閉店後のフロア掃除だ」とあれこれ叫んでいるうちに眠たくなり、就寝。

 本日早朝、海南師範大学の日本語科の先生からメールがありました。若い先生で、普段は授業をしているのですが、日本語が堪能なので日本人外教の通訳、というか外事処との橋渡しをしてくださっているのです。

 「お待たせしました。書類は25日にできるそうです。でき次第、私がスキャンデータを送付します。中先生はすぐに航空券をとって930日にはこちらに来てください。」

 驚いてはいけません、中国ではこういう用件はいつも「いきなり」です。

 930分、総領事館に電話をかけ、「紙の書類でなく電子データでもビザはもらえますよね。海南師範大学は930日に来てほしいそうなのですが」。

 総領事館の事務担当者は、「会議を開きます。午後230分にもう一度電話をください」。

 航空券は時々刻々高くなるので、とりあえず札幌→名古屋→上海浦東→海口の3本のチケットを予約しました。飛行機を3本乗り継ぎますが千歳発が0950で海口着が1910なので、入出国で手間取らなければこれが一番良いようです。ちなみに93千円ほど。

 京都在住の姉に電話をかけると、「えっ、まだ日本におったん」と、知人のすべてと同じ反応。

 「ビザ待ってた。急な移動なので関西で一泊できない。次に会えるのは7月」と、私。

 「その前に三途の川で会えるかも。」と、彼女。

 

 急展開でございました。すでに書きましたが、中国では決まるのも実行されるのも、いつも「いきなり」であります。中国入りについてご心配くださった方、私の代わりに憤慨してくださった方、本当にありがとうございました。と書くのはじつは早くて、実際のビザ受領、イミグレーションのクリア、2つの具体的な関門が待っております。生活資材をEMSで現地に送ることもしないといけない。

 順調にいけば、929日の夜には気温30度超の海口であります。教員生活最後の赴任地。元気に全うする。病院にはかからない。さて、どのような生徒と出会えるのか……。ハルピンでは、勉強熱心で人なつこい大学生ばかりだったけど、海南島ではどうなのだろうか。

 ようやく、授業ができるのであります。

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