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2014年9月 9日 (火)

演劇が「説教」じゃなくて「演劇」だった時代の宝物のようなビデオテープ

 写真は、記事とは何の関係もありません。中秋の名月の夜に、自宅前で。

Photo


 

 私が本日この、日本で一番閲覧者数の少ないブログを更新しているいま、現在、海南省政府からも海南師範大学からも札幌総領事館からも、連絡がありません。

 家の電話がじりりりんと(古いねどうも)鳴ると、とりあえず私は「総領事館だ!」と叫びます。

 「んなわけないでしょ」と、息子が言います。

 「あなたの待っている電話だったらいいのにね」と、配偶者様が言います。

 まぁ、海南師範大学の外教担当の先生は「国慶節明けです」と言っているのだから、おとなしく9月末を待てばいいわけです。10月初めかも知れない。

 いっそのこと、ビザを持たないで関空へ行ってやろうかしら。

 武漢で「为什么你不带入国许可证?」と聞かれたら、「え? 私のお尻は清潔なので必要ありません」と、ボケてやろうかしら。

 

 それはそれとして。(何が「それ」だよ)ただビデ……じゃなかったビザを待っているのも仕方ないので、屋根裏部屋の掃除をしました。

 30巻ほどのVHSテープが出てきました。ソニーのベータも1巻だけ出てきました。これには、キャビン戯曲賞の最終選考まで残った「雨よ、濁り濁れる川に降る終わりなき雨よ」が入っていました。旧姓・神田典子さんという女優(もちろん本名じゃない)が、私の書いた1時間半のお芝居を演じてくれた貴重なビデオテープです。女優の1人芝居の脚本は何本か書きましたが、これが一番、じぶんでは気に入っています。

 佐藤信さんから、「このお芝居の作者は劇場ドラマよりNHKの教養番組のスクリプトでも書いた方がいいのでは」と言われて爆笑したけど。(嘘だ。爆笑なんかしてない。椅子を蹴って暴れた)

 他にも、尼崎産業高校演劇部が演じた「ボクサァ」とか、少年による母殺しをモチーフにした「我が最愛のマモーン」とか、懐かしい映像記録がいっぱい出てきました。

 1990年前後はNHK教育放送でひんぱんに劇場中継が流されたらしく、清水邦夫さんのお芝居が何巻か出てきました。精神錯乱のために高村光太郎を認識できない智恵子を、それでも必死でみんなが愛し抜く「哄笑」なんか涙なしで観られない。「冬の終わりのタンゴ」「車庫という名のビヤホール」……なんという懐かしさだ。平幹次郎、なんという若さだ。今は亡き松本典子さん、なんという演技の迫力。吉行和子さんの、なんという……あ、この人は今でも美しいや。

 宝物のようなビデオテープが、屋根裏部屋に眠っていたわけです。

 

 清水邦夫さん、いつしかお芝居の脚本を書かなくなりました。妻・松本典子さんの早すぎる逝去と関係あるのかなぁ。

 早めに執筆をやめた方がよい、とご自身で思われたのか。

 とっくに芝居の脚本なんか書かない方がいい年齢なのに、それでも書き続けた結果、ある時期からあとの脚本が全部「演劇」じゃなくて「説教」になった人もいますからね。

 「前略おふくろ様」までは本当に良かったのになぁ。

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