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2014年8月 1日 (金)

河瀬直美の「2つ目の窓」評判どおりの傑作でした

2001


 映画と旅行の好きな人に悪い人はいません、ということを、中国滞在中にずっと言っていました。

 中国の人は映画も旅行も大好きなので、生徒の中には「調子を合わせてるだけだ」と思った人がいるかも。もちろん、そうではありません。映画と旅行が好き、という人に実際に悪い人はいません。お前はつまり自分自身のことを言っているのか、と突っ込んだ人もいました。私は悪い人ではなくて「変な人」なので、こんな茶々が入っても平気であります。

 中国人であろうと日本人であろうと映画と旅行が好きであればすべからくいい人であります。まぁ中国人の場合、映画が好き、と言いながら著作権には考慮してくれないので、少し困るのでありますが。(あっという間に海賊版のDVD40元とか20元とかいう恐ろしい価格で市場に出回ってしまう中国で、チャン・イーモウとかチェン・カイコーとかいう監督はどうやって活動を継続させているのだろう。)

 まぁそれはそれとして。

 札幌のシアター・キノさんで、「2つ目の窓」を観て参りました。

 うるわしい家族の映画であります。舞台は奄美大島。東京から母親とともに移り住んだ男の子と彼に恋をする綺麗な女の子は、ともに高校1年(か、2年)であります。この女の子を、吉永淳という女優が演じているのでありますが、いやぁもう、めっちゃくちゃに、良い。

 眼に力があり演技がシャープで、スタイルが良くて声に張りがある。張りがあり、深い。大声でも、つぶやいても、こちらの胸に染み入ってくるような、そんな声であります。非常に魅力的であります。こんな女優がいるのなら、ただカメラを廻しているだけで映画になっちゃうわい。二階堂ミホや藤谷美和子という稀代のだいこんと映画を創った村上龍なら、「ずるい」というでありましょう。

 それくらい力のある女優であります。本当に、画面のどっかに彼女が写っている間はどんなに監督が無能でも映画になるに違いない。でも何しろ河瀬直美なので、サボリはしないのです。ちゃんと監督する。脚本だって極限に言葉を省略し、すばらしい。

 吉永淳の母親は島のユタ神なのでありますが、余命いくばくもない。高校生の娘がいる女性にしては若くて美人なのですが、ともかく余命いくばくもない。深く娘と、夫に愛されております。

 吉永淳(島の別なユタ神に)「ユタ神様でも、死ぬの?」

 ユタ神「あぁ死ぬよ。でもな、思いは、ずっと、島に、ここいらに、とどまっているよ」

 思いとは、死者を深く愛し忘れまいとする生者の、記憶であります。

 家族だけではなく島のみんなに深く深く愛されながら、吉永淳の母親は死ぬ。

 死が間近いというのに(あるいは、だからこそ)島の年寄り達はそのベッドの周りで三線を弾き、歌い、踊る。半分意識のない、半分死の世界へ足を踏み入れている病人が、一緒に踊る。とはいえベッドから起きあがることもできない。できることは必死で手を持ち上げ、指をリズムに合わせてひらひら動かすことだけだ。

 踊る島の年寄りおばぁが言う、「上手だ、踊り上手だよぅ」

 踊りながら吉永の母は死ぬ。

 吉永とその恋人は高1の恋する人間たちが当然そうであるように非常にぎこちない。もともちは東京の人間である恋人の人生はとりわけぎこちない。両親が離婚し自分は心うち深く慕う父でなく母について奄美大島に来ているので、その屈折の角度も複雑である。

 しかしそのぎこちなさを、吉永淳の愛する奄美の海と優しく理解ある父、島の年寄り達が、やさしく、それとなく、包む。

 河瀬直美監督の最高傑作でありましょう。次は、どんな映画を見せてくれるのでしょうか。

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