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2014年7月 2日 (水)

日本全体の事を考えても決して答えは出ない

 担任がいじめの事実を認識していたかどうか、学校としてどう対処していたか、んなことどうでもいいです。

 私はもうずいぶん以前から、クラス全体、学校全体、日本全体を考えないようにしておりました。

 神戸の事件が起こった時、援助交際が問題になった時、黒磯の事件が勃発した時、あきれるぐらい繰り返されたことがある。

 「日本の学校はどうなっちゃったんだ」

 「日本の高校生はどうなっちゃったんだ」

 アマチュアはいい。どうせ何を言っても誰も聞かない。

 しかし、識者とか(識者、と呼ばれて自分で否定しないのは救いようのないバカと決まっている)教育評論家とか(私は教育という言葉も評論という言葉も嫌いだ。そして尾木を筆頭に教育評論家という人間が大嫌いだ)が、「日本の教育は……」と言い出す時、その99.9%は有害だと思っていた。

 日本の教育について何を考えても決して答えなんか出ない。

 考えるべきなのは、今、ここにいるこの我が子、ここにいる一人の生徒について、だ。それは日本全体の事を考えるより遙かに難しい。しかしそこにしか意味は無い。

 私は自分の子どもには、「あんたらがいじめられても何もしない。しかし誰かをいじめたら、顔の形が変わるまで殴る」と言っていた。実際には我が子の顔の骨はとても頑丈だったので形は変わらなかったが、実際にそうして対処したことは私の子ども(3人全部ではないが)もその周辺の人間もみんな知っている。

 一度、娘が小学校6年当時、激しい暴力行為に及んだことがあった。

 私は血相を変えて詰問した。「いじめか!」

 娘は晴れやかに答えた。「違う。決闘だ。」

 私はそれを信じて沈黙した。勝ち負けにはとても興味があったが。

 日本全体の教育事情なんか論議しても何の役にもたたない。それを学習する機会は無数にあった。なのに自分の子どもに命をかけないで「学校は……日本は……」というバカがいまだに多い。だいいち、メディアが今なおそうだ。

 実は、ことはものすごく単純だ。何度も言うが、子どもが卑怯なことをしたらぶん殴ればいいのだ。たしかに、周囲に異常な親は無数にいる。関係ない。うざいが、関係ない。子どものことでそういう親と接触しないといけない時は本当にうっとうしかったが、耐えるしかない。こいつは親だけど、一人の狂人だ、と思って乗り切った。だいじょうぶ、10年ぶりにあうと狂人一家の経過をちゃんとたどっている。

 親の中に、自分より弱いやつに暴力を振るう卑怯を正しく卑怯と認識しそれを心から軽蔑する健全さがないと、子どもは育たない。数人で1人に暴力行為を行うなんて卑怯の最たるものだが、それを憎む良識が無いなら子どもなんか作っちゃいけない。親が乳児・幼児の全能感をそのまま放置して6歳まで漫然と大きくしてしまい、学校は、担任は、と「誰かのせい」にしてしまう時、不幸は拡大再生産される。

 「日本の子ども」がどうにかなっちゃったのではない。

 死ぬほど悩んで考えて答えを出さないといけないあなたの子どもが、そこにそのまま放置されている、それが問題なのだ。それと向き合いなさい、という単純なことを私は言っている。かけがえのない自分の子どもを評論の対象にしておくあなたの中の不健全を、まずは油をかけて燃やさないといけないが。

 とりあえず。

 教育を評論する人間は、いますぐ黙るべきだ。一人一人の親が一人の子どもについて個別に考えることをうながすために最低限やることはそれだろう。メディアの罪も大きい。しかし商売人というのは金があればそれに群がるものだからもうしようがない。

 いじめをとめた1人の女子児童を、3人で殴る、蹴る。

 無力な担任を叩くのはそれが楽だからで、どこまでも非生産的というほかはない。

 「この子を育てたのは誰?」

 親はどこまで、免罪されるのか? えんえん不幸が続く。不幸な子どもが増える。それについて「私の知ったこっちゃないが」と言おうとしても、3人の子どもはその中で、結婚し、おそらくは子どもを育て、社会参加するのだ。

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コメント

私の80歳になる岳父は男子高校の教師をしておりましたが現役時代はよく生徒に鉄拳教育をしていたようです。 親からはよくやってくれたと言われることがあって複雑な思いをしたと語っています。
それに生徒がトラブルを起こしたら親ではなく学校がとやかく言われ責任があるかのような報道までされる。 親の責任はなぜ追求されないのかとも言っておりました。 全くメディアというのはおかしな連中で世の中がそれを盲信することが怖いですね。
追伸 海南島 私も数年前 行ったことがあります。 海口から三亜まで日帰りでドライブしましたが
また いつか今度はゆっくりと周ってみたいです。

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