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2014年7月31日 (木)

佐世保の16歳は極にいるたった1人ではないと私は思う

 どうしても、インターネット上の論客は、佐世保の16歳を、「ごく特殊で異常な1人」にしたいようです。

 「異常な(に、見える)若者と正常な(少なくとも行為上は正常に見える)若者との間の明確な区別は存在しない」と考えるのは私1人のようですから、ここはやっぱり「私だけが間違っているのかもしれない」と内省するところですが、今回ばかりはそういう気にはなれません。

 私は、想像力の暴走を制御しづらい、つまり明日にも異常行為に走ってしまう可能性のある人間は層をなしていると思っています。もちろん私は私自身のことも、安定した存在だと思っておりません。昨日1日、私が異常行為に走らなかったのは(走ったのかも知れないが今のところパトカーが玄関先に乗り付けたりするという状況にない)家族、法律、理念、宗教、などといったごく広い意味での社会制度がともかく機能したせいだ、と思っています。私1人がそのような社会制度との調和によってかろうじて暴走の淵を踏み越えないですんだのだから、私と誰かとの関係も調和的に恒久的に安定したものであるわけがありません。

 私は、ごくごく些細なことで意味もなく(じつに、意味もなく)怒鳴り散らす学校長も、医者(小児科に多い)も、地方議会議員も、知っております。それらの人は外部の視線からは完全な「異常行為」でも、とりあえず現在の肩書きが(社会的関係……本人の実力でも人間的資質でも何でもない……)その異常をファイナンスしています。

 中上健次というすぐれた作家がいます。名作がずいぶん多いけど、私が一番愛しているのは「紀州」という短編集だ。村上春樹の「遠い太鼓」と並んで美しい紀行文だと私は思っております。日本文学史上の疑いもなく医大で貴重な財産であります。しかし彼が全く意味もなく、何の脈絡も合理性もなく知人・編集者・若手作家に暴力をふるい続けてきたのも事実だ。暴力をふるわないと作家活動ができなかったのかと思えるほど……そしてそれはどうやら事実だ……中上健次というとその暴力性が想起される。

 彼がその暴力によって市民的権利を奪われなかったのは偉大な作家であったからだ。周囲は彼に甘え、彼は周囲に甘えた。いま、私は中上を批判している。その文学は素晴らしいが暴力は嫌いだ。

 実際に中上は腐敗した文学的営為を指弾したのだからその暴力は正当だったと言う人がいる。寝言は寝ているときに言うがいい。あれだけの暴力をふるい、彼が作家でなかったらあっというまに逮捕・拘束が待っている。人は刑事罰の当事者となってはまともな論理的主張を周囲に浸透させることなどできない。

 ひとえに、甘えだ。

 どこかで自分は守られるはずだ、と思いながら暴力をふるう。社会的立場(作家である、家庭に難を抱えたかわいそうな女子高校生である)は彼に(彼女に)その場限りにおいて奇妙な全能感(作家である、社会的名士の家系の娘である)を与える。

 そのことは、暴力的衝動を食い止めている社会的制度を一時的に無化させる。

 人は、簡単に「暴走」するのだと、私は思う。それはもちろんこうやって書いている私自身においても例外じゃない。

 中上健次と佐世保の16歳をいっしょにするな、といわれそうだ。だが、違わない。ある一点において違わない。その一点というのは、暴力衝動を食い止めて市民的秩序に従わせている社会的制度がごく限られた状況のもとで無力であったということだ。

 佐世保の女の子は時に激高して泣き叫ぶことがあったそうだ。

 別に普通のことじゃないのか。「なぜそんなことで」と言われて当然の不可思議な「キレ方」をする市会議員も校長も医者も私は複数知っている。

 彼女は自分を誹謗中傷したクラスメートの食事に毒物を入れたそうだ。

 おもしろ半分に友人の弁当に頭のフケやチョークの粉、蛾の死骸を入れる生徒は大勢いる。程度の問題にしか過ぎない。

 人を殺すのはたしかに異常の極限だろう。しかしこの16歳を特別視しあなたの家の16歳との明確な区別を行うことは、できない。できる、と思った瞬間にあなたは判断停止している。あなたは要するにこの16歳が怖いのだ。何かを象徴しているようで怖いのだ。その何かとは、あなたやあなたの家族にも通底するかも知れない「凶暴な想像を想像の域にとどめる社会的制度の無力」である。

 個別に向き合うしか、ないのだ。佐世保の16歳は極にいるたった1人ではない。

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