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2014年6月11日 (水)

あらためて中国の意図について「推察」する

 あらためて、経済状況というのは「兵器」、武器そのものなのだと思います。軍事力そのものであります。

 ウルグァイ・ラウンドの時に、長崎県出身の高名な作家が「コメはすでに立派な一つの『兵器』である」と喝破しましたから、私自身このような感慨を持って1秒後に「何を今さら」と、思うのでありますが。

 ベトナム海岸まぢかのトンキン湾で、「漁船に」体当たりできるというのは全世界がそれに対抗できない、有効な措置を講じることが出来ないことがわかっている、自分の中に抵抗不可能なほどの強い「兵器」があると自負しているからに他ならないのだと思います。

 やっていることも無茶だし、言っていることもたしかに無茶です。「問題の海域は我が国が2000年以上も昔から管理支配してきた」って、当時の漢と今の中国に連続性などありません。トンキン湾とパラセルとは事情が違うけどそんなことどうでもいいのでありましょう。

 でも、無茶というなら。

 「俺たちは理性ある民主主義の国なのだからいくら核兵器を持ってもいい。お前らが核兵器を開発保有するなどあってはならない.持ったらひどい目にあわせるぞ」と恫喝し、その通りしてきた国があったじゃないですか。

 その国にとっては、世界最強の(今となっては怪しいが)軍隊と、それ以上に、「世界でいちばん軽率に軍事力を行使する国」という『評判』が『兵器』だったのだ。大統領が共和党党員だった頃の上の発言を、合理的に解釈・説明できる人などいないに違いない。

 1989年の6月に北京で起こった事件について、G7(当時)は政治体制の民主化を求め、いち早く経済制裁を決めている。それが「できた」からであります。中国は困り果てた。「関係の無い国が口を挟むと痛い目に遭うぞ」などという恫喝ができるわけもなかった。いま、中国は、そんなことがあったことなど決して認めないが、当時のG7にはとにかく経済する、できる「条件」があった。中国の経済にそこまで深く「依存」してはいない、という経済情勢があった。今、それがない。だから集まって「困りましたね」「まぁ、『憂慮する』ぐらい言っておきましょうか」ということになる。

 なんという25年だったのだろうと、思う。

 1989年の経済制裁は中国を本当に苦しめた。事件後、最初に中国を訪問した外国首脳は誰か。援助を約束した国はどこか。海部俊樹である。日本だ。この時海部は、G7に経済制裁の解除を「中国に代わって」訴え、更に6000億円という経済再生資金を提供した。中国人の若者の誰一人知らない事実だ。教室で公言しない私は卑怯だが、私だって命が惜しい、ありゃ言い過ぎた、自分のパソコンのIPアドレスが惜しい。

 海部のやったことは正しかったのか、間違っていたのか。

 もちろん正しかった。救われたのは中国経済であり「国民」だ。そして。

 もちろん、中国相手に貿易を行って豊かになりたい「日本」だ。

 更に、考えるのであります。

 軍船100隻に守られての石油掘削に経済的合理性などないだろうと、私は不思議だった。でも、ここにきて、その意図がようやく想像がつく。中国は、アメリカの凋落をより世界に印象づけたかったのだ。意図がそこにあるなら、もしかしたら石油など二の次だったのかも知れない。

 絶え間なく世界各所に軍事展開し続けた国が今凋落の時を迎えている。これ以上可視化させる必要も無いと思うが、とにかくそれをすることが必要なのだろう。

 それでも、やっていることのコストが高い、とは思うが。予定より早く経済成長が終わるようなことがあるなら、こんどこそ、困ったことになるだろう。

 もう、海部俊樹はいない。

 それと。

 少しずつ日本の若い人が「政治的無知」から目覚めるかもしれない。

 

 その前に私自身が「無知からの脱却」を果たす必要があった。すみませーん。

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