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2014年6月 4日 (水)

アマチュア無線局として私が知っていること

 私がアマチュア無線技師の免許を取ったのは高校1年か2年の時です。私のJA3RKTのコールサインは、たぶん昭和42年に下りているはずです。ほかにJK8FNQというコールサインも保持していますが、これは北海道へ来てから開局したものです。

 海外局とも国内局とも交信しましたけど、1980年代当時、すぐに交信できる局というとインドネシア、フィリピン、韓国、台湾、それに中国でありました。

 当時の(今はわからない)中国のアマチュア無線局には共通する特徴があり、こちらが言うことはあまり聞いて貰えないのです。

 

 私:QSLカードはどうしますか?

 相手:直接送ってください。

 私:お互い、ビューローを持っているのですから、ビューロー経由でいいですか? お金かかりませんし。

 相手:住所は……です。OKですか。

 私:いや、だから、ビューロー経由でどうだろうと、私は提案しています。

 相手:あなたと交信できて良かったです。さようなら。ほか私と交信できるかたいらっしゃいますか?

 

 そんなあんばいでした。おかしかったです。きっと私も、英語が下手なのでそんなトンチンカンな交信をしていたことでしょう。今でも下手です。

 中国からの電波が、「ぱたっ」と、途絶えたことがありました。

 19896月のある日からです。

 京都には無線局の情報交換ネットワークがあり、極超短波の某周波数で呼べば誰かが必ず応答してくれる、そんなチャンネルがありました。430メガヘルツ帯ですからごく近距離しか到達しません。京都市内および近郊の無線局の集まります。

 中国からの電波が突然全く出なくなったことで、みんなが、非常に心配しました。

 中国の無線局に個人局というのはありません。すべてクラブ局です。それも、ほぼ全部、大学内にあります。

 京都のネットワークでは毎日のように中国からの電波を受信したか、と聞きあいました。

 「中さんはどうですか?」

 「何も聞こえません」

 「台湾の局から情報とれませんか?」

 「彼等も、心配だけど何もわからない、と言っています。」

 

 突然、電波が出ました。もう、7月か8月になっていたかも知れません。福州のある大学のクラブ局でした。すぐに、中国の無線局が応答を求めています、という情報が上のネットワークで流れ、ご飯を食べていた人も中断して無線機の前に座りました。私も、茶碗とお箸をぶん投げてIC720Aのスイッチを入れました。

 日本中の人が(世界中の人が)福州の大学クラブ局のオペレーターとの交信を求めていました。

 誰かが叫んでいました。「自由に電波を出せるんですか?」

 「こんにちは。あなたのシグナル強度は59です。福州の気温は31度、曇りです。入力は250ワットです。QSLカードはダイレクトでお願いします。」

 「シャックの中に軍人がいたりしませんか?」

 「オペレーターはWANGです。あなたのカードが届いてからこちらからも出します。」

 「福州以外からのオペレートは可能ですか? なぜ、数週間の間電波が出なかったんですか?」

 「ありがとうごさいました。他に交信可能な方いらっしゃいますか?」

 

 2エレのキュビカルクワッドがどっちを向いているか確かめました。255度、間違いなく中国の南方地方海岸を向いていました。それでも、この電波がダミーである可能性はあります。

 私は辛抱強く交信の順番を待ちました。でもそれはついに廻ってきませんでした。電離層の変化の波の中で、オペレーターの声は砂にしむ水のように消えていきました。

 

 19896月のことについて、私がたしかに知っていることというのはそのことです。

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