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2014年5月23日 (金)

中国で、箸と座布団について考える

 茶道、華道、それから色々な日本人の「マナー」について、中国の学生に語ります。彼ら彼女らは、ある程度の興味を持って、聞いてくれます。授業が終わって質問を受けることも多いです。

 私の現任校には立派な和室(80畳ほど)がありますが、そこで「畳の縁は踏まない」「ふすまを開ける時は必ず座る、あるいは膝をついた姿勢を取る。少なくとも立ったままふすまを開けるのは不作法」などということを言います。分かってはくれますが、なかなかできません。当たり前です。日本人でも、平気で畳の縁を踏む人がいます。私は日本で旅行する際は客室係さんの行動を意地悪くチェックしますが(本当に性格が悪い)畳の縁を踏む人というのは、基本的にいないはずなのですが、希には、います。残念です。

 座布団について。

 日本人は自分が使っていた座布団を誰かにすすめる際、必ず裏返しにして「どうぞ」と言います。

 マナーの本によれば、「座布団には使っていた人の不幸が沈着しており、それを相手に伝播させないために、裏返す」ということらしいですが、本当にそうでしょうか。

 私は以前から、日本人は「自分が自分であること」をすでに「恥」として外部にさらすことを忌避する、そういう民族だと思っているのですが、それと「座布団裏返しマナー」は関連していないでしょうか。

 座布団を使うと、その熱が多少なりとも座布団に移ります。その熱は「私自身にまつわる何か」であり、それを相手に伝えることがすでに心うち深く刻まれた「恥の本能」に抵触するからではないのか。

 日本人は決して道に痰を吐きません。それは私の体の深みの……恥の感覚をもって隠蔽しないといけない人間の内実そのものであります。そんなものを他人の目に見えるところに吐き捨てるわけがない。衛生よりそっちのほうが大事だということではないのか。

 体内の何かを外部にさらすことをしない民族なのであります。それは、重大な「恥」であり「名誉の穢れ」だ。

 箸の九悪。これは、地方により人により一定しない。「ねぶり箸」が九悪に入る地方と入らない地方がある。入らない地方では、あらためて九悪で戒めなくても、当然の禁忌だと考えるわけでしょう。体の内部(口腔内)に入れたり出したりするものに唾液を付けたりするのはもってのほか、ということを考える人が多い地方なのだろう。

 箸は、たとえ粥を食べる際も、先端から一寸以上を口の中に入れてはいけません。唾液は「私自身」の「深い内実」なのであり、それを他人に見せてはいけない。

 日本人は、自分が自分であることがすでに「恥」なのだ。

 「箸」の語源について考えた人はいないのだろうか。「ことば」の「ば」が「はじまり」であることは知っているが、「はし」の「は」と「恥づ」の「は」とは関連していないだろうか。

 なにしろそれは体内と体外を往復して他人の前に「わたし」可視化させる、重大なアイテムなのだ。「はし」を唾液で濡らすことは「はじ」である。

 

 日本にいる時は、こんな事考えませんでした。中国に来てはじめて、私は日本という国を知りたくなった。やがて日本に帰り昔のごとく日本に無関心なワタシに戻るのが、怖い。

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コメント

知らない事が多く、
行動を改めようと思う記事でした。
ありがとうございます。

さて、相談事でコメントさせて頂いたのですが、、
嫌な上司がいます。
大声をだして怒鳴ったり、
販売業なのですが、その商品を私たち部下に威圧するかのように叩きつけたりする人が上司です。
(販売業ですがお客様も近くにいらっしゃる状態での行為です)
現職においてそれなりに経歴もあり現在の上司のような人ははじめてです。

口を開けば他の社員の噂話、悪口陰口、
人のあげ足取り、なんだか相槌を打つのも嫌になっています。

指摘してしてやりたいのですが、私の小さな脳味噌では論破されてしまう解るのでただただ大人しくしています。

先生ならこのような状態の場合にどう考え、どう対応するでしょうか。

あなたの「箸」の語源についての考え方、ユニークで面白いと思います。しかし、私は語源や起源など古いものは宗教的な意味が存在する場合が多いと考えています。「はし」という言葉に対しても、「箸」「橋」「端」などが同じ発音でありますが、「端」はいまおきまして、「箸」と「橋」は関連性があるように思います。これはある葬儀屋さんからのサイトからの情報ですが、火葬場で「骨上げ」のとき「竹の箸」と「木の箸」をつかうそうですが、このように互い違いの箸をつかうこと、或いは、『男性が左、女性が右に箸を持ち、組になって行なう等というのは、中国の陰陽思想を感じます。また、「箸渡し」は「箸」と「橋」の音が共通なところから、故人をこの世からあの世へ、三途の川の渡しとしてあげる、という思いからきているといわれています。』と述べておられます。一考に値すると思います。

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