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2014年5月29日 (木)

1995年霞ヶ関と1997年神戸に背を向けて自閉した作家の小説はもう読まない

 3年生の日本文学史の授業は私には滅多にないことですが真面目に授業をしたために予定より早く進行し、ことによったら「ノルウェイの森」の冒頭部分ぐらい読めるか、あるいは1995年の地下鉄サリン事件と1997年の神戸連続児童殺傷事件ぐらい解説できるか、と考えるのが可能な、幸福な展開を見ました。

 私は、後者を選択しました。

 ほとんど総ルビ付きと言って良い解説書を簡単な質問付きで作成、生徒に朗読させたのでありますが、1992年から93年の生まれである中国の大学3年生は、誰1人この事件について知りませんでした。まぁ当然かも知れない。

 私は、例によって極めて独善的で自分勝手な解説を行いました。「私の知るところによれば」という注釈をつけてでありますが。

 1995117日の神戸大震災も、6000名の死者を数える大惨事だった。私が近くの都市、尼崎で国語の授業を担当したクラスの生徒も男子1名女子1名が落命している。しかも1名は、崩れた家に家財道具を取りに戻って2次崩壊した家屋による圧死だった。同僚だった理科の教師が落命した。ものすごく悲惨な災害だったが、その2ヶ月後に起こった地下鉄車内での事件は意味が違う。阪神淡路大震災は、「起こった」のだ。霞ヶ関の事件は、人間がある考えのもとに「起こした」のだ。地下鉄サリン事件と呼ばれるこの事件の死者は13名、大震災の死者は6000名、しかし日本人に与えたショックの大小において選ぶところは、ない。

 19973月から5月下旬にかけて神戸市須磨区で起こった14才の中学生による事件も「人間とは何か」について日本人が巨大な悩みを抱えることになった重大な事件だった。「人間が」「起こした」両事件について、納得のいく解説を行った人は20年近くが経つ今も、誰も居ない。永遠に明らかにはならないかも知れない。ということは少なくとも日本人はこの両事件の意味について、日本人について、人間について、永遠に考え続ける義務があるということだ。

 ことばを駆使して人間に考えるヒントを与えるのが仕事である作家は、この事件に対して無関心ではいけないはずだった。しかし「私の知る限り」、「作品で」、この時期の日本人の苦しみに向き合おうとした作家は、2人しかいない。「神の子ども達はみな踊る」を書いて神戸の震災被害者を鎮魂し更に「アンダーグラウンド」「約束された場所で」を書いて地下鉄サリン事件に向き合った村上春樹、それから神戸の事件の年の8月、「寂しい国の殺人」を書いて14才の少年の……更に私達日本人の……心の暗部に向き合った村上龍だ。他の作家はどうしたか。程度の大小はあるが、自らの作品と言葉の世界に「自閉」したのだ。それら作家のことを私は、とうてい信じる気にはなれない。この事件の前に死んだ三島や川端は別として、1995年から1997年にかけて現役の作家だったという人間が自らの狭い世界に「自閉」したのは許すことはできない。あくまで「私の認識では」ということだが。

 ……それだけのことを語り、アンケートに移りました。

 付け足し。

 あろうことかあるまいことか、大江健三郎は1人の中学生から「人を殺してはいけないのはなぜですか」と質問され、「そういう問いそのものがもう『壊れている』のだ」と発言している。ノーベル賞を取った作家までが判断停止の自閉的症状を呈したのだ。その中で敢然と自らの文学で立ち向かった2人の村上姓の作家を、中が今もこよなく信頼しているのは当然のことだ。

 さて。

 このあたりでじぶん自身の蒙を啓く必要がある。今ならまだ間に合う。

 上に書いたように、ほとんどの作家は、「今こそ必死でこの両事件を解読する言葉を模索するべき時」に、自らの方法論(とは、もう言えないが)と狭い作品世界に「自閉」した。しかし、両村上以外に、宮本輝や池澤夏樹といったごく少数の作家が、自らの言葉で立ち向かった、ないし立ち向かおうとしたことは知っている。

 ということは、他にもきっといた、ということだ。

 なぜ私が知らないのか? ということはさておき、誰がどんな仕事をしたのかということを提示できれば、今の授業をこれ以上アンフェアにしないですむのだが……。

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