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2014年5月28日 (水)

か弱い10代の女性に切りつけるような行動に「動機」などという高級な物はない

 東北地方のどっかで、アイドルグループの一員に暴行を働き、重傷を負わせた男がいたとか。

 で、ネットを見ると、「動機は何か」という文言が見える。まぜっかえすつもりはありませんが。

 か弱い十代の女性に「のこぎり」で襲いかかるような男に、「動機」と言えるような高級なものがあったとは思えません。

 警察は家宅捜索を行い、部屋に何があったか調べたいようですけど、無意味です。

 私はAKBとモーニング何とかの区別のつかない人間でそれが自慢でもあるのですけど、いずれにしてもアイドルでしょう、かわいく、美しく、そして弱い、大事なことは多数の人から深く愛され尊重されている、本来であれば自分こそが誰よりも深く愛し尊重するべきだった何か(誰か)は実は永遠に自分から失われていて、どころかそれは自分の「失われた人生」の象徴でもある。

 それなら殺してしまえ、抹殺してしまえ。

 私にはそれで、行動の機序としては充分だと思います。動機の有無、計画性の有無で罪を計量するのは間違っています。起こった被害、社会に与えた良くない影響(良い影響があるわけがない)で罪を計量するべきです。根本的にこのことは私の以前からの謎というか不満で、計画性があろうがなかろうが被害の質や大きさには変わりが無い、私が被害者なら、突発的に起こした行動だからあまり罪が無くて計画してやったから罪が深いって、そんなの納得しません。また、私が加害者だったら、カッとしてやったことであれ(私はよくカッとする)1年前から計画したことであれ、「とにかくこれだけ被害があったのだから50年は刑務所に行ってね」と言われても納得します。

 それはそれとして。

 愛すべきもの、恋すべきものに対する加害の衝動は、実は全ての人間に、あります。愛とはそれ自体が一つの暴力的衝動でもあります。あなたも子どもの頃を思い出せば一つや二つ、思い当たる節があるはずだ。愛するものに暴力を揮いたくなる、それは特別なことではない。人間は時として難解で不条理であります。この男だけが不可思議なのではない。「誰でも良かった」という文言を信じてはいけない。誰でも良かったはずがない。誰でも良かったならプロレスラーの事務所へ殴り込むかというとそんなことは決してしない。美しく、かわいく、弱いから襲ったのであります。

 これからこのような事件が増えますが、驚いてはいけません。日本の隅々にまで、子どもというか幼児に「人生とは思うようにいかないものなのだ」ということを教える装置の無意味化が広がっています。赤ん坊の全能感はいつかどこかでしっかりと否定する、叩き潰す必要がある。人生は思い通りには行かずだからこそ「人生」というのだ、ということを分からせる必要がありますが、そんな自覚のない親がいっぱいいます。そのことで高校教師時代かなり悩みましたが、親が子どもを殴らなくなり(殴れなくなり)学校の先生も生徒の種々の無軌道に「へいへい」と逆に謝って済ますような国に未来はない、滅びる運命の国なのだと、納得することにしました。

 親や教師が尊敬されない国は滅びます。

 青森のこの男がどのような子ども時代を過ごしたのか私は知らないし実は興味も無い、しかし、何をしても許される赤ん坊の全能感をそのままに幼児、少年、青年前期を生きたことは想像に難くない。

 動機を見つけようとする人の気持ちは、わからないでもない。

 この青森男にあった「動機」は自分にはない、自分の子どもにもない、ということを発見して安心したいのだろうが、そこには無理がある。何が動機で彼が行動したかではなく、すべての人間が持っている、何か強烈に求める物が手に入らない時人生をどう支えるかという「技術」をなぜ習得しなかったかを考える方が実質的だと思う。

 本当に求める物は、たいていは手に入らない。イングリッド・バーグマンのような恋人が欲しいと思っても、手に入るのはせいぜいが山田花子だ(私は好きだが)。ランボルギーニにどんなに乗りたくても中古のカローラなのだが、それを静かに納得してそれでも(15万のカローラでも)達成した自分の人生を誇り、次の人生に向けて再出発する、それは「感性」や「道徳」では、実はない。

 純粋に「技術」なのだが、それは簡単に子どもに伝えることが出来るはずなのに伝えないようにする負のシステムが、日本には多すぎる。

 

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