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2014年4月29日 (火)

日本人が「号泣」はしない、その単純な理由

 うがったことを言うようですが。

 「震災で泣かなかった日本人に驚愕」というネット記事を見つけましたけど。

 いやいや、泣いたでしょう、いっぱい泣きましたよ。遠く離れた北海道に住んでいた私だって、ボランティアで遺体引き上げ作業をした人の手記を読んで泣き、新聞社の発行した写真集を見て泣き、天皇陛下の「お言葉」を読んで泣いたぐらいなんだから。

 たくさんの人が泣いたはずです。

 ただ、声を上げて泣いたりしない文化がある、泣く時は隠れて、こっそり泣く、という文化があるのは本当だとおもいます。

 「悲しみ」は、ドライなことを言うようですけど、消費されます。本当です、消費されてしまいます。最初に大きすぎる悲しみを味わい、それにたたみかける2次的な悲しみが襲ってこないなら、それは消費されます。

 韓国の「泣き女」の風習は、私に代わって泣いてくれる人、ないし私に加わって泣いてくれる人を見、それを感じることによって、悲しみの消費のスピードを上げる効果を目的として、生まれました。泣き女に金を払うのは、自分の悲しみが早く消費されることへのお礼です。

 「それは違う、悲しみが大きすぎて……」という人がいそうだ。うっとうしいから私のブログ、読みに来ないで下さい。私は確かに、ちょっと普通じゃないことも書きますが、「待てよ、そういう考え方もあるかな?」と、反発する前に立ち止まって(黙って)考える能力のない人は、私のブログに来ないで下さい。

 ゴミと言い争いをするのは時間の無駄なので話を進めますが、「号泣」する人は、自分の中の悲しみを早く消費したいのです、誰かに殴りかかって、あるいは誰かを罵倒して、明らかに責任のない(ダイバーとか)を怒鳴りつけて、「オレは悲しいんだ!」と「表現」する人は、悲しみを早く消費して、またもとの通りの日常を早く取り戻したいのです。

 「この悲しみが癒えることはない」と言いますが、本当に申し訳ないことですが永遠に続く悲しみはありません。いつか消費されて消えます。ただ、2次的にその人を襲う被害(心ない取材とか中傷とか)があると、別です。消費されるスピードより新しく加わる悲しみの量が多いなら(よくあるケースですが)悲しみは「癒えない」ように見えます。でも実態は違います。

 1985年の、御巣鷹山に墜落した日航機のことですが、あの時もたくさんの人が泣きました。「墜落遺体」というものすごいドキュメントがありますが、ごく少数、日本航空の職員に殴りかかったりする人はいたようですけど、基本的には500人の乗客の遺族の多くは、大きすぎる悲しみを「号泣」で「表現」はせず、静かに泣いた。静かに泣きながら広い体育館の中で肉親を探した。「号泣」すると悲しみは消費されてしまう、それを感情のごく深いところで、知っていたのだと私は確信している。

 私も、万が一、自分より先に逝かれては困る人を送ることになったら、泣くだろう、決して号泣はしないで、物陰で、ひっそりと泣くだろう。この悲しみは消費されて癒えるのだとしたらそれを早めるのは死者に対して申し訳ないと思い、自分の悲しみを、死者それ自身であるかのように、抱きしめるだろう。

 そういうことであります。

 繰り返す。

 悲しみは消費されて癒えるのだとしたらそれを早めるのは死者に対して失礼だ。むしろその悲しみ、苦しみを意図的に長引かせることで、私は死者とともにある。

 日本人はそれを知っている、肉の深いところに刻んでいる。

 そういうことであります。

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