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2014年4月 8日 (火)

画廊で「哲学」する休日

 

 えらく日本語に堪能な2年生、ビジネス日本語科のLさんに案内してもらい、一匡街というところにある画廊へ。

 

 「絵を見るのは大好き」という私のわがままに応じてくれたのですが、私と同じ日本人外教、K先生も、「そういうことなら僕もちょっと見てみましょう」ということで同行してくださいました。

 

 本学から104番のバスに乗って和興路で降り、93番のバスに乗り換えて一匡街。

 

 全く絵を売る気なんかないように見える画廊が、営業、というより何事か作業、していました。作業していたのは小柄な、おだやかな口調で話す中年の女性。この人の案内で、さらに別な場所にあるもう一軒の画廊も見学できました。しかしこっちは無人で、彼女が鍵を開けてシャッターをガラガラと上げ、作品を開陳してくれたのです。「妹の経営する店だ」ということでした。経営ったって、全く売る気なんかないように見えるよ。

 

 私は絵を見るのが好き。その理由はものすごくはっきりしていて、人生と生活の中に全く芸術的要素がないからであります。その欠乏が、私を、絵画や音楽鑑賞に、激しく、あるいは切なく、駆り立てます。

 

 45センチ幅の、高さ2メートルほどの掛け軸41組に、激しく心が揺れ動きました。深山の木の枝に揺れるカケスの表情がよろしい。セットで2千元、どんなに値切っても1800元にしかなりません。

 

 私は反省しました。

 

 ちゃんとした芸術家が、そのインスピレーションを絵にしたのです、書にしたのです、その、神から与えられた啓示に向かい、「あと300元安くして」なんて言っては、いけないのでした。

 

 その絵を(掛け軸を)家に飾りたい、飾ったらさぞ気持ちがいいだろう、と思うなら、自分のその欲望を大事にするべきだったのです。「2000元ぶん気持ちよくなれるだろう」と思うなら、その金額を払う。自分の、芸術を求める衝動を、値切ってどうする。

 

 深く反省しました。結局、何も買わないで帰りました。とはいえ、大変に楽しい1日でした。画廊のとなりにある「画廊咖啡」。売り物というわけじゃない絵(経営者が趣味で集めた)に囲まれて、コーヒーをのむ。なんて気持ちいい。経営者は(その日は店にいなかった)盧禹君さんという女性画家が好きらしく、同じタッチの絵を5点、並べています。目に力のある洋服姿の女性ばかり、5点であります。なんとなく、あのクリムトに似ている。女性の表情と、モデルの周囲の装飾が、であります。

 

 話を少し戻して、画廊にはどういうわけか1枚だけ模写がありました。ゴッホの「ひまわり」であります。こちらの方は値段を聞きました。小柄の優しそうな店主はにこにこと「800元」は、はっぴゃくげん。

 

 もういちど、私は反省しました。

 

 「その絵を飾って気持ちよく暮らしたい」という自分の衝動を、値切ってはいけない。絵は、出会って初めて「その絵と暮らしたら」という衝動が芽生えます。クリムトそっくりの表情の女性を描ける画家が中国にいることを私は今日まで知らなかった。その瞬間「この絵と暮らしたい」という衝動が芽生えます。それに値段を付けることはできないでしょう。1枚の絵との出会いは、そもそも物語であります。物語が生まれた瞬間のワタクシはある程度まともな人間であったのに、自分の衝動を値切ったとたん、その私の中の物語は(絵は、じゃない)便所の落書きのレベルにまで、落ちる。

 

 絵を買う資格なんか、ない。(実は何を買う資格もない)

 

 手ぶらで帰ったのは正解でありました。哲学する1日を与えてくれたLさん、同行してくださったK先生に、深く深く感謝であります。

 

 

 

 

 

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