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2014年4月10日 (木)

「洗練」が生み出す、普通は無自覚である「罪」

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 中国を移動していると、私のような非常に「無精な」ものにも、その地域ごとの変化と、それからここ
1年半の変化が、見えて参ります。

 黒竜江省の北端の都市、黒河。(実際はもっと北に、漠河という、冬にはオーロラを見ることも可能な都市があるが)そこからの帰途、私はあえて鉄道でなくバスを選びました。手っ取り早かったからです。鉄道より1割ほど高い切符を買うと、全席指定であります。どのような乗客が隣に座るかで、10時間の旅の快・不快が決まります。私の知っているある女子生徒は、「隣に指定されたのが150キロほどありそうな巨体の男性でとても横には座れず、10時間ずっと立っていました」と告白しました。彼女が最後に吐き捨てたのが「死了」(死にそう)であったので、本当につらかったんだな、と思いました。

 私の場合は、それほどの男性ではありませんでしたが巨漢ではありました。私は175センチ75キロの、まぁ普通の体格なので、2人とも座れましたが、無愛想で何を挨拶しても返事してくれないのには閉口しました。それでも、禁煙車なのにタバコを吸う人も希にはいるから、そうじゃなかったのがラッキーです。

 頻繁にトイレ休憩(実際にはタバコ休憩)をとる、そのことが印象深かったです。大きな都市の休憩所と小さな田舎町の休憩所とでは、まるっきり違う。大きな都市は、すでに整備を済ませていて、仕切りやドアのないトイレというのは考えられません。ごくまれに、トイレットペーパーさえ備え付けているところがあります。

 小さい農村のバスストップは、いわゆる「中国のトイレ」であります。大にしても仕切りがありませんから、お互いに顔をそらせあいながらの用足しとなります。これは日本では考えられないことでありましょうが、不思議に、中国にいると、苦になりません。小の方となるともっとプリミティブで、コンクリートに開いた穴に向かい、輪になった男がいっせいに用を足すのであります。これにしても、そういうものだと思うと、苦にはなりません。嫌なら中国に来なければ良いのであります。あるいはホテルから出ない。しかしこのようなトイレは、どんどん減りつつあるようでございます。

 やがて、日本的な「洗練」が、中国を覆うのでありましょう。その変化のスピードはものすごく早い。トイレ一つとってもこうでありますから、市場も、コンビニも、映画館も、肉屋も野菜屋もあらゆるところが「洗練」の波に洗われてゆく、それはもうたしかなことであります。「値切る」のが常識の中国の買い物も、様変わりします。どんどんと増える「うちの店では値段交渉は不可」という張り紙を見てわかるように、はじめから定価を表示してそれ以外では売らないという「洗練」が幅をきかすでしょう。

 食事をする場所が無数にある、ハルピンの名物ですらある屋台も、急速に減ります。道路を狭める、単純に危険である、衛生上問題がある、税金をちゃんと取りたい、……屋台を消滅させる政策の理由も、結局は「洗練」であります。

 日本へ旅行した中国人が瞠目する、その内容にしても、清潔さとかすべての店員さんの笑顔での対応とか、システムが整然としているとか、結局は「洗練」に、収斂していくのであります。だから、去年の9月に開業したハルピンの地下鉄1号線は、ものすごく洗練されている。綺麗で、親切で、スムーズです。交通カードを指示通りコンタクトさせたのにゲートが開かない際の駅員さんの素早い対応も、洗練そのものです。

 日本が数十年かけてやったことを、中国はほんの数年で、やろうとしているように見える。

 洗練は単純に良いことであります。向かいで用を足している男性のしぶきを浴びながら自分のそれが早く終わることを願う、そんなことが愉快であるはずがない。私はかなりのひねくれ者でありますが、当たり前の洗練を喜ぶ、一人であります。

 ただ。

 「洗練」にだって、欠点があります。

 「いまだ洗練されていないものに対する軽蔑」が生じてしまうことであります。不寛容と言ってもよろしい。この根は誠に深く深刻であります。早くも、若者の中にそれが広がっている。それすらも、「洗練」で駆逐できるものであるのかどうか、私は知りません。

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