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2014年4月27日 (日)

「理解」は「願望」から自由になれない、というジレンマ

 427日の日曜日、大事な情報源であるNHKワールドを見ていましたら、(この日の担当はケイコ・キタガワさんだった)香港に6・4記念館がオープンした、というニュースが流れていて、ひっくり返りました。1989年の天安門事件の記念館をオープンさせることが可能なのだ!

 キタガワさんは、たんたんと映像を紹介していましたが、記念館のオープンに「抗議」のためにやってきた人間が20名なのか200名なのか、のちネットで確認しても、配信元により混乱があるようでした。NHKワールドの映像では、20名もいなく、「ほんの数名」でありましたが。その「ほんの数名」は、声高に何かを叫んでおりました。たぶん、「天安門事件などでっちあげだ!」と叫んでいたのでありましょう。

 今更ながら、理解とは「願望」に根ざしている、その意味について考えないではいられません。トウ小平と現在のシ主席の統治の絶対性にゆるぎない信頼を寄せたい中国人の「願い」が、この記念館の「意味」と「信憑性」に深いバイアスを掛けている。なにしろシ主席を「信頼する」と答える中国人大学生は99%であります。

 その中、この記念館をオープンさせた人の勇気はすごい。「真実を知りたい」という「願い」を抱く人への、信頼であります。そのために命をかけることができる人がいる。

 我が黒竜江東方学院の生徒諸君は、当然のことながら、198964日の事件のことを知りません。それを知らないのだから、非民主制を敷く国家体制の改善を迫る、ひどい経済制裁があったことも知らない。それを知らないのだから、G7に経済制裁を解除するよう訴えた海部俊樹のことを知るわけがない。「そうであるはずだ」と「願う」中国の人にとって常に日本は加害者であるのだから(加害者でないといけないのだから)「判断」はその願いを逸脱することがない。

 NHKワールドのニュースの中で、1人の女性がインタビューされていました。「こんな事件があったことをここに来るまで知らなかった。夫も友人もここに連れてきたい」ここには、「知る」人を増やしたい、という願いがある。映像は言葉にはない力があるから、何かが彼女の中で変わった。

 ひるがえって。

 日本でも似たようなものであります。日本の財政がどうなっているのか、実のところ私たちの多くが知らない。数字だけを見るともう絶望的だが、「何か自民党政府が手を打っているだろう、手を打っているはずだ、そんなにお先真っ暗じゃないはずだ」と、私たちは願いつつ、それに添うニュースを探している。だから安倍の「☆ヶ月の間に5万人の雇用を創出しました」という発言を、自らバイアスを掛けて聞く。実はそれはもっとも危険なのだけど、願いを脇に置いて客観性を抱くことなど私たちの誰にもできない。メディアの責任は本当に重いが、日本ではメディアを話題にするとその瞬間議論はデッドエンドとなる。

 メディアもまた、視聴者の「願い」に添う番組しか創らない、そして「願い」は事実と乖離しながら補強されてゆく、と言う悪循環にはまる。

 天安門事件はもう25年も前なのに、今なお、事件の犠牲者の遺族(大学生の父母を中心とする)たちが当局の厳しい管理下に置かれている、という説がある。私はこの目で見たことがないのだからわからない。「説」だ。それが本当なのかどうなのか、知りたい、という私の思いは正直だが、答えは出ないし、出ているように思える答えにもある「留保」がつきまとう。映像や実体験という具体的ななにかでなく、「願い」に判断が根ざしているという危険性がある。

 私にとって、恥ずかしいことに「客観的判断」は宇宙の果てにあるもののように、遠い。遠ざけているのが他ならぬ私自身なのだから、始末が悪い。

 明日は、「2つの名前(名字)を持つある男子生徒の述懐」。

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