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2014年3月14日 (金)

先生、額田王は美人だったのですか? と百会さんは質問した

 「先生、額田王は美人だったのですか?」という質問を受け、一瞬絶句しました。

 もともと弟の妻でありのちに兄である天皇に迎え入れられた。その兄である天智から(実質的に)弟・天武が皇位を奪い取ったあと、弟は天皇位ばかりではなく額田王というかつての妻も、奪い返した。

 「額田王は美人だったのですか?」

 日本ではまず出てこない問です。

 授業では、「茜さす」の短歌と、「紫の」の返歌を紹介したのですけど、中国人の学生にとって1人の女性が弟→兄→弟と婚姻関係を錯綜させるのは考えられないことのようで、「じゃよっぽどの美人だったのか」という問になったのかもしれません。

 私は、「顔の事を言うなら永遠に謎である。しかし、当時は顔すがたより、歌が上手いかどうか、そっちのほうが『美人』としての重要な条件だった。」と返答しました。「『茜さす』の短歌は、稀代の名歌というべきである。」

 言語芸術の分野に秀でるということ自体が、つよい霊力の保持者であることのアピールなのだ、何しろ、言葉は「こと」の「は」じまり、願いを口に出すとそれは現実となって進行するのであるから。諸君のご両親だって、強く、美しく、命ながく、と願って諸君に命名しただろう。祈りを実現させるための言葉の「ほとばしり」の装置として額田王は魅力的であった。

 そのような授業であります。

 選択者の中に、「百会」という名前の人がいます。「百」は「すべて」、「会」は「実現」でありますから、すごい名前であります。また、「すべてのことに秀でる」という意味で、「歌」1文字の生徒もいます。彼女は歌が上手で、社交ダンスの腕前はプロ級であります。身長が170センチほどありますから、同じく上手な男とダンスしていると、誠にその眺めは華やかなのであります。

 「そういう『芸術的能力』の先鋭的な保持者が額田王だった。権力をめざす男が次々に欲しがったのは当然のことだ。」と、私はいうのであります。

 天武天皇は(当時は天皇ではなかったが)「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我が恋ひめやも」と歌った。

 「人妻でも、恋しくてならないのだ」と解釈する人の方が多いようであります。しかしあえて「兄の妻だからこそあなたが欲しいのだ」と解釈すると、天武が、額田王を通して天皇位を渇望していたことが読み取れるのであります。

 更に、恐ろしい解釈があります。

 「野守」とは、標野の管理人だと、高校の教師は教える。

 しかし、それは違う、と頑固に主張する人が居る。「これは、天智天皇のことです。」

 この和歌は、天智の薬草摘みの際に詠まれた。天智は額田王の現在の夫である。少なくとも近くにいる。弟もいる。弟は額田を奪い返そうとしている。あわよくば天皇位といっしょに。で、袖を振って大胆に「こっちへ来いよ」と誘う。

 「まぁ大変、番人に見つかるじゃありませんか。」と額田は言う。しかし、見られて困るのは番人か? 間違いなく近くにいる、兄天皇だろう。

 額田は現天皇のことを、「野守」呼ばわりした。

 つまり心はすでに弟のものになっている。

 天武は喜んだだろうなぁ。

 え? そういう恐ろしい解釈は、ない?

 文学を文学的に解釈することに、何か矛盾が?

 ……まぁさすがに、生徒には言えませんね。

 言ってみたいけど。

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