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2014年3月 6日 (木)

柏の事件の犯人を絶対に許さない(1)

 私は自分では厳罰主義者ではないつもりだし、そもそも法律を改正して厳罰主義をもって種々の犯罪に対処しようとしてもある種の犯罪に対しては(秋葉原のような、今回の柏のような)抑止の力となり得ない、と考える人間であるのですが、それでも、そろそろ法律家、ではなくニュースに接する私たち自身が、考え方の枠組みを変えるべきではないかと思います。

 社会に対する不満、お金をとる目的、など、どんな事件でも私たちは「動機」を探す傾向があるようです。もちろんメディアもそうで、「動機」が明らかになると何かしら1つの事件が解決ないし解明に動いたような気になりますが、もうそろそろそういう、ありもしない「安心」の材料にすがるのはやめたほうがいいです。

 平和な歩行者天国に車で突っ込んだり、なんの罪もない市民を押したおし馬乗りになって笑いながら刺す、という(パソコンで打っていても慄然とする)人間の行動に、「動機」などという高級なものが本当にあるのでしょうか。

 人間はもともと壊れた存在なのだ、という仮説に私は賛成です。私たちはあらかじめ壊れています。暴力的で、排他的で、他人の幸福が許せず、自分の不幸を自分の努力欠如のせいにできず他者に原因を求めそれを深く恨み、自らの全能感によりかかりあらゆる言辞を弄して自らの行為を正当化する生き物です。

 それでは自分と他者が限りなく損なわれてしまう、だから私たちは「社会」を作ったのです。19978月の村上龍のエッセイに言葉を借りるなら、私たちの独善感を眠らせまだしも「理性」的にしているのは、家族、宗教、法律、理念、それに芸術です。村上は最初に「家族」をあげました。実に興味深いと思います。

 私自身、壊れていることを自覚しています。自分さえよければいいと思います。自分より他人の方がよい生活をしていると…つまりほとんどのケースだが…必死でその理由を彼我の努力の量以外に発見しようと焦ります。知っています。私は壊れている。だからこそ、家族で寄り添い、どうにもならない時には両手を合わせて運命の展開の好転を祈り、私が法律に抵触する行動をとった場合に損なわれる自他の財産の大きさについて必死で想像を巡らせ、そして絵画に、バロック音楽に親しみ、その時に自分の凶暴性を眠らせている「癒す力」に感謝を捧げるのです。

 「それはあんただけだ、私は通常の状態で充分平和な、調和的な人間だ、あんたとは違う」という人がいるだろう。それでかまわない。凶暴なのは私だけでいい。想像力の方向性が違う人と議論するのは時間と言葉の損失だ。でも私は、モーツァルトが、ベートーベンが、シューマンが、神の営為としか思えないすばらしい芸術作品を生み出しながら、なんで私生活ではあれほどの苦労を強いられたのかということについて、「想像」する。シューマンの「トロイメライ」を聴く。素晴らしいと思う。自覚してそれを「聴こう」と思って聴く人間から、あらゆる攻撃性を奪う。癒す。しかし世界でたった一人だけ、その偉大な緩和の力を自分のために受け止めることのできない人がいた。それが他でもないシューマンだ。それは彼自身のものであったのだから。

 見知らぬ人間を組み伏せ笑いながらナイフで刺す、という人間のその行為には、動機などという高級なものはない、とちゃんと認識するべきだ。そう考えて初めて、私たちは正当な危機感を、ほかならぬ自分に対して、持つことになる。それはとても重要なことだ。私が、24歳で職を持たず、家族とも精神的物理的に断絶し、無機的なインターネット空間以外に自分を認識してくれる世界を持たず、そこでも否応ない阻害にあい、それでも日が昇れば絶望がただただ連続するだけの24時間を始めざるを得ず、激しい軽蔑を他者に抱き続けその他者から倍増する軽蔑を返されるとき、柏の24歳は単純に凶暴なワタクシをむき出しにする。それだけのことだ。何が彼をあのような行動に駆り立てたか、と考えることは私は絶対にしない。彼と私は、同じだ。同じ凶暴性を、同じ危うさを持っている。ただ私は、それを緩和するための人間関係、家族をはじめとする調和的な共同体を「発見」しそれを大切にしようとしている。私は中寛信という人間だが、砂漠のような無機的な空間で風のままに漂流するとき私は何者でもない。誰かから、「あなたは中寛信という人間だ」と言われて初めて、守るべきワタクシと守るべきあなたを発見するのだ。

 繰り返すが柏の24歳に、動機、などという高級なものは存在しなかった。

 何が彼をあのような行動に駆り立てたか、というのも間違いだ。

 もともと凶暴な人間なのだ、その行動を阻止するための、ごく広義な「文化」が彼には存在しなかった、たったそれだけのことだ。

 つまりその危うさは日本に満ちている。私がああいう行動を理性的に憎む、憎めるのはなぜか、と考えるとき、はじめて大切にすべきものが見える。

 明日も書きます。明日は「許さない」その理由について書きます。

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