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2014年3月13日 (木)

なおも他国を罵倒嘲笑し続ける人へ

 人は、自分自身に誇りを持たないと生きていられないのだと思います。私が深く深く敬愛する長崎県佐世保市出身の作家は、「上質の愛人は、快楽ではなくプライドを要求する」という意味のことを、「全ての男は消耗品である」というエッセイのなかで述べています。作家はごく控えめに発言したのだけど、考えてみれば上質の愛人でなくてもすべての恋人は、と言い換えてこの警句は立派に成立するかもしれない。そしてそして、実は、人間全部に、それは言えるのかも知れないのであります。要求するか自分で「つくる」かはともかくとして。(いや、その2つの間の距離はとてつもなく大きいのだけど)

 プライドは人が希望を持って生きていくためにぜひとも必要なものだと思います。

 この私にしても、33年間を日本で末番の高校教師として生き、とか言ってますけど、まぁそれはそれで本当のことであったにせよ、別のところで自分を支える何かをちゃんと用意しているつもりであります。そしてそれは、あまり頻繁に口に出すことじゃない。

 プライドを、外部の誰か、何かに与えてもらえる国家の国民は極めてラッキーなのだと思います。実のところそんな幸運な人も、時代も、それほど多くはない。その国の、その時代に、生まれた、というそれだけでプライドを保障されている、なんてラッキーだろうと思う。

 かなりの部分自国に責任があったにせよ、300万同胞を失い他国にも大きな傷を負わせ、アメリカが落とした爆弾により国じゅうを焼け野原にされ新型爆弾まで2つ落とされて全面的かつ無条件な武装解除に応じさせられながら、新しい国家として生まれ変わり、たった8年で大戦争以前の経済水準を取り戻しわずか30数年でソ連(当時)の大統領から「20世紀最高の成功例」と賞賛されて今なお車や光学製品をはじめとする世界最高の工業技術力を誇る国家の一員である、という、プライドとはそういうことであろうと思います。

 まもなく世を去るオジンはそれでいいのでありますが、若い人にそのプライドが自らを支える礎として自覚されているかというと、そこは注意深い検証が必要だと思います。ある書店の社長さんは、高校生相手に話をした際、「自分は、親の代よりよい暮らしができる、と思っていますか?」という質問をしたそうであります。挙手した人はゼロだったという。社長は昭和の歴史を表にし、今後の展望が決して暗いものではないことを語られたのでありますが、今を生きる高校生が、親の代よりよい暮らしはできない、と思って生きていることは重大だと思います。「国家」が与えられなくなったプライドを、彼らはどこかで探さないといけない。それはもちろん、私のように「与えてもらった」ものより健全なのかもしれないけれど、どのように自覚的にそれをなすかで、人生の外形は大きく違ったものになると思います。

 自覚的にプライドを保証する材料を見つけられないとき、他者を見下す、はっきりとした自らの「優越」を発見しそれにすがる、ということもあろうかと思います。もちろん本当のプライドを手に入れることはできない。それは相対的なものにしか過ぎない。ケージの中で飼われる実験用のマウスが仲間を指さし次はお前だお前だということによってごくつかの間安心を得るとしたらそれはかなりかっこ悪い。(というか危険だ)

 生きる目標もプライドも国家をはじめとする「共同体」が与えてくれた、という幸福(?)な時代は終わった。私たちは「個人」を発見しないといけないがそもそも「個人」という言葉をちゃんと定義した人がいない、と喝破したのも、上に書いた長崎の賢人であります。(19978月、文藝春秋)

 でもさすがに、勇気と実力のある人から順に、共同体に頼らず「個人」としてプライドを発見する道筋を発見していく、その時代は来たと思う。野茂や中田英寿みたいな特別な存在でなくても、私はごく普通の若い人の中に、古い共同体の思考の枠から出ると個人としてのプライドを創出する小径にいたる、という事実を発見した人を複数知っている。いくらかの人は日本の国から出てしまったが、この国にとどまり自分の努力で「個人」のプライドを発見した人もいる。

 私は33年間の教員生活の中で、不覚にも高校生の「平均化」に手を貸した。「共同体主義」にどっぷりと浸かりそれに気づかない、気づいたら気づいたで今になって「それだから『個人』を発見できないのだ」とか言い出すような罪人だ。でもそれを自覚しながら私は、言う。

 他国の欠点を言い立てて自分と自分の国家にプライドを持とうとしても、無理です。

 そして私は、本当に日本という国が好きな人は他国を罵倒したりしない、ということを知っております。もちろん利害について正当な「意見」を言うことは立派だ。なかなかできないことだ。しかしそれの言える人は、たとえば「全員★★半島へ送り返せ」みたいなことは、言わない。

 私たちは「個人」にならないとプライドを発見できない時代に生きている。しかし親も教師もそんなこと言わない。そもそも個人という言葉の意味について教えない。でもそんな中でも、TPPについて、武器輸出の是非について、プルトニウム疑惑について、若い人は考えないといけない。プライドなしに思考をはじめるとあっというまに国家主義の罠にはまる。自閉するのだ。ネット上にはそういう人の、他国に対する罵詈雑言が散見される。★国の経済は破綻するとか毒霧のために人が住めないとかいう嘲笑もある。本当に「日本が好き」な人はそんなこと書かない。罵倒と嘲笑はケージの中のマウスだと思う。外に出るべきだ。出た途端に他国に対する罵倒を口にする気がなくなる。何も日本から出ることを意味しない。ケージから出ればいいのだ。そのケージとはつまり古いあなた自身ということなのだから。

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