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2014年3月 2日 (日)

クンミンの事件について恐る恐る考える

 私は中国に在住していても日本人で、もちろん日本のことを愛しています。中国に来て、今までよりいっそう、日本のことが好きになりました。更に、私は中国語がわかりません。文法は単純だが発音が恐ろしく難解な中国語を聞き取り発音することを、私はすでに諦めています。何かを判断できる立場にないしその能力もありません。

 中国に来て日本への愛着が増したことと中国への思いはまた別のことです。中国のことも大好きです。百回同じことを言いますが母国を愛せない人間は他国も愛せません。私は日本が好きで、中国が好きです。ちゃんと言うと、中国の1人ひとりの「人」が好きです。

 ただ、7月には無事に日本の土を踏みたいことと、そのために応分の注意力は保持し続けたほうが良い、という当たり前のことを、日々自分に命じています。そして直接自分に降りかかる問題として、この国の治安について考えます。北京とハルピンと武漢と海口と、それぞれ公共機関に乗る際のセキュリティチェックは全然違います。そして、日々変わり続けています。移動の際にオフィサーが何を要求しているか、それはどの程度深刻なことなのかを(理解できないまでも)感じ取ることは外国人にとっても必要です。

 セキュリティレベルの改変は言うまでもなく社会情勢によります。

 その上で、31日の夜22時に起きたという事件のことを考えます。

 シンチャンウィグル自治区とクンミンの距離について考えます。地図を見ながら。

 直線距離だと2400キロですが間にチベット高地がありますから移動は大変です。少なくとも今回の事件のために飛行機や火車で移動したと考えるのは無理があります。ウィグル族の人々は漢族の人と比べそんなに自由に移動できません。一定数の人々となると尚更です。

 当局発表どおりだとするなら、中国各所に分散するウィグル族の人のうち無差別殺人を計画したその人たちの居住区がたまたまクンミンだったということになります。本当に不幸です。無差別に「長い刃物」を振り回し殺傷し長く人々の心に残る恐怖を負わせて自分達も射殺・逮捕拘束されて、それで実際の分離独立が果たされるわけはないのに、それに突き進まないといけない切迫感があったことになります。

 中国のネットで34枚の写真を見ましたがまさに「無差別」「突然の凶行」であったようで、飛び散った血まみれの衣類やカバン、放心して座り込む人たちの表情は恐ろしいものでした。遠いクンミンで起こるなら、それがつい最近まで私たちがいた武漢でもここハルピンでも、可能性は否定できないことになります。

 凶行現場の駅の壁に放心して座り込む人々の表情は恐怖の大きさを伝えていますが、やがてその人たちは無差別殺人で分離独立を主張する「勢力」への憎悪を抱くことになるでしょう。当局が進める漢民族の西方地域への移住奨励、それによるウィグル族の比率低下策は当然だと思うようになるでしょう。

 凶行が31日の夜22時、当局が分離独立派のテロと「断定」したのは2日の早朝でした。

 皮肉を言うわけではありませんが。

 1976年の45日、周恩来の死を悼む花束を捧げた北京市民を弾圧した第1次天安門事件、それを「革命行動であり、周恩来の死を悼んだ人々の名誉は正当に回復された」と宣言したのは、2年半後の197811月でした。

 そこまでじっくりと情報を吟味し、態度決定に時間をかける慎重さを持つ「当局」は、このたびについては数時間で「断定」。

 ネット上には治安当局のコメントがあります。受傷者は病院へ運ばれて適切に手当てを受けた。犯人は厳しく追及中である。クンミン駅は平常に復しつつある。人々は安心されて良い。

 どうやって安心?

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