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2014年3月 6日 (木)

柏の事件の犯人を絶対に許さない(2)

 ネットの情報を信じるとするなら、柏の24歳の犯人は、1997年春の神戸の事件の少年のことを話題にしていたとか?

 尊敬している、と言ったとか? 気持ちがわかる、と言ったとか?

 もしこの男が目の前にいたら言ってあげたい。

 あなたのような、ネット上に既存の言葉でしか自らの外形を構築できない、極めて薄っぺらな想像力しか持たない人間と、神戸の少年とは違う。もちろん神戸の少年も決して許されないことをした。私は弁護しない。だが、肥大する想像力に彼は彼なりに苦しみ続けたのだ。その想像力が少年らしい、いまだ拒否的な「世界」と出会う前の全能感と結びつき、彼は世を震撼させる激烈な犯罪行為に手を染めることになった。この14歳と柏の犯人とは根本的に違う。24歳なら、とっくの昔にその「拒否的な世界」と出会いを済ませている(はずだ)。

 私はこの神戸の少年も許せないと思う。しかし神戸の少年は上に書いた、「肥大し暴走する想像力それに子どもの全能感」をなんとか制御しようと、苦闘している。自らの内部に極めて特殊な神を「空想」している。彼はダンテの神曲という年齢ににあわない本を読んでいるが、それはそこに自らを制御するヒントが、「言葉」が、あると考えたからではなかったのか。少なくとも彼は14歳なりに自らと向き合おうとしている。決して弁護も共感もできないが、ごく少ない、信用するに足る(かもしれない)彼の行動や言動の記録の中から、微かにだが、自らを制御できる何らかの装置と出会いたいという願いを、感じ取ることができる。

 赤ん坊は全てを許されて生きる。泣こうが喚こうがミルクを吹こうが周りの人間は全てを許す。赤ん坊は何をしても許されるのだと思う。何をしても愛されるのだと思う。当たり前だ、そうやって無償の愛を受け、赤ん坊は以降の困難な人生を生きる原動力を獲得する。しかしその全能感はどこかで挫折しないといけない。言うまでもなく挫折させるのは最初に父だが神戸の少年の場合は父のポテンシャルが無残にも落ちきっていた。母も母で逆にこの少年の全能感を助長させる方向に動いたかのような経過が、たしかにある。

 そしてこの少年の想像力、空想能力は並外れて高く個性的だった。

 それらの矛盾と不幸を、自覚的に苦しみ姿勢が、神戸の少年にはあった。それでも事件は起きた。本当に不幸だが、この事件ほど、私たちを深く考えさせた少年の事件は存在しない。

 柏の24歳は神戸の少年の気持ちが分かるという(と書かれている)。分かるわけがない。自分はいったい、乳児の人生観を持って生きた時代から幼児、少年前期、後期と生きて、どんな「拒否的な世界」と出会ったのか、という自問をこの男はしない。出会って、挫折するに足る、どのような価値ある「想像力」を自分は持っているのかと、自問しない。するわけがない。拒否的な世界と出会い自らの能力を点検するという経過を経なかったかあるいは経ても恐ろしくてその世界が直視出来なかったから、ネットという、拒否するものがいたらたやすく目をそらせればすむ「世界」へと逃避したのだ。更に更に、ただ逃避するならし続ければいいのに、翻ってもう一度社会との「関係性」を求めた。ネット上でない、生身の善良な人が生産活動をする、社会とだ。切れば血の流れる人がいる、社会だ。そことの関係性を、もう一度、求めた。「何者か」になる資格など決してない人間が、「何者か」になろうとした。そこには「甘え」がある。汚らしい甘えだ。

 神戸の14歳の少年の、何があなたに分かるというのだ。

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