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2014年2月20日 (木)

今日一日ヤフーの玄関ページを見ない

 今日一日、ヤフーの玄関ページを見るのをやめようと思います。うなだれるスポーツ選手を見るのが辛いからです。

 先進国ほど、国家の威信あるいは一体感とスポーツ選手の存在、という二者の結びつきは強くない、と思いますが、今の日本はどうなのでしょうか。私は、スポーツ選手は国家の代表ではないし国民の一体感の象徴でもないと思います。個人として戦い、個人として充実感を味わってくださる方がそこにいればよい、と思います。それをみて人々が美しさに感動する、それでいいだろうと思います。観衆が、「日本人でよかった」というのは少し違うでしょう。逆の感想を抱くよりはもちろんずっといいですが。

 以前、あるスポーツ選手が「楽しんで参加してきたい」といってオリンピックの地に出発した時、日本ではいろんな人が「国家の威信を背負い国家の金で行くのに『楽しんで』とは何事か」と発言しました。私はおおいに驚きました。日本はとんでもなく後進国だったんだなと思ったのです。国家の金で? とはいえ、当時の国家の支出は、一人当たり300万でした。たったの、300万です。

 あの中田選手のこと私は大好きですけど、イタリアへ渡った当初彼があんなにメディアからよく言われなかったのは、日本人の一体化の象徴であることを彼が拒否し続けたからです。私は、それは正しいことだったと思っています。

 従いまして私は「日の丸飛行隊」などという呼称も嫌いであります。

 後進国から先進国へ、精神の田舎ものから洗練へと、先輩の皆さんは必死で働かれたのではないですか。「前畑がんばれ」と絶叫され続けた女性は、「負けたら死のうと思っていました」と告白しました。東京オリンピックのマラソン選手はそののちも「国家の威信」を背負い続け、本当に死んでしまいました。

 「英雄のいない国が不幸なのか、英雄を必要とする国が不幸なのか」という、有名な問いがあります。たぶん、ギリシャ悲劇の一説でありましょう。答えは明確であります。とくに、このフレーズの2度めの『国』を『個人』に置き換えると、おそろしいほど、答えは明確であります。

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コメント

全く同感です。 報道番組のキャスターが あるオリンピック日本の選手の話題の終わり際に まあ 何とかメダルはとってくれるでしょうが  と言った時、 何と傲慢な言い方かと腹が立ちました。 選手は個人の努力の賜物としてオリンピックに出ているのであって決して国威発揚のためではないのです。 選手たちの懸命な姿に人が学べればどこの国の選手であっても応援するのがオリンピック精神と言うもの。 マスコミも
日本のメダルの数を数えるばかりのレベルから早く卒業してもらいたいものです。

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