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2014年2月 1日 (土)

修学旅行とPTAについて考える、伝統について考える

 かつて、家父長制が機能していた頃、人々は「家長」についてどのように思っていたのでしょう。

 最高の決定権を持つにふさわしい、判断力と情報を持つ、立派な人格者だと思い素直にひれ伏したのでしょうか。

 単に「それが伝統だ」と思い、自分を判断停止の状態にしておいて家長の言い分に従ったのでしょうか。

 ある種の共同体にとって、「過去」は常に「権威」です。高校の職員会議だって、何かの行事の概要を説明する際、発表者はよく「去年と同じ箇所については説明を省略させていただきます」と言います。何かで失敗したら、必ず責任を取らないといけません。それは、職員会議の席で頭を下げれば済む場合もあるでしょうし、職を辞さなければいけない場合もあるでしょう。極端な場合には職業共同体を超えた権力、つまり警察が介入する場合があるかもしれません。そうした場合、「私は去年と同じようにやっただけだ」というのは有効な弁明としてその人を守ります。

 過去は常に権威です。今、ほとんどの高等学校では修学旅行という名の全く意味のない集団移動がなお行われていますが、ごく一部の県を除き「これをそろそろやめましょうか」と言い出さない唯一の理由は、「去年もやったから」です。他にもそういう行事がいっぱいあります。過去に一緒に仕事をした同僚先輩は本当に立派な人たちであり、その人たちが万万が一このブログを見にきたら(ありえないが)怒り出すかもしれないけど、それでも書くのですけど、PTAという組織にだって意味はありません。それでも多くの高校にこの組織があり何人もの教員が張付いて仕事をするのは「去年もあったから」です。「今になってそんなことを言うお前は卑怯だ。何年もその仕事をしたじゃないか。おまえ自身親としてPTA組織に参画したじゃないか、まてよ、会長だったこともあるんじゃないか?」と言われても、無駄なものは無駄です。私は今になってこんなことを書くのは卑怯だと、よくよく知っております。引き受けたのは、「波風を立てたくなかった」からです。職員会議は立派な意見交換の場ですから(決定権は校長が持っているが)「PTAには4月には解散してもらいましょうよ」ということはできる。「私が学年主任になったからには2年生秋の修学旅行はやめます」というのもできる。変人だと思われるのはかまわない。でも「波風を立てる」と必ず尊敬する何人かの人に迷惑をかけます。(ううう・・・現在旭川南高校にいるF・H先生ごめんなさい)

 いやいや、いやいや、高校の修学旅行なんてどうでもよかった。「過去」は常に権威だ、ということを、私は考えようとしていたのだった。

 中国の「春節」について考えている。生まれて初めて(なんでも生まれて初めてだ)中国の春節を見た。そのすごさには圧倒される。何も数時間空の色が完全に変わるほどの爆竹の数だけのことを言っているのではない、この期間、ものすごい数の人が中国国内を大移動し、実家に帰る。1月下旬から2月はじめのだいたい10日ほど、あらゆる交通機関は人で埋まる。ハルピンから雲南までは汽車なら50時間かかる。この時期の飛行機の切符は平素の何倍にも跳ね上がるがそれでも2ヶ月前から予約してとれるかどうかわからないという。実家に泊まれない人は市内のホテルに泊まる。通常600元の宿があり春節中は2800元になる。それでも満杯である。仕事もストップする。多くの商店は閉まる。郵便局も閉まる。タクシーは減る。公共バスも運転手が休みを取るから思うように来ない。中国人は世界中にエネルギッシュに展開する。春節になると国内だけでも半端じゃなく広いのにマレーシアからインドネシアからフィリピンから日本から、ぞくぞくと帰省する。そのためにそれぞれの人の働く職場ではそのための体制を組む。日本で働く人に聞いたけど、「春節に9日間帰省するために日本のお正月からずっと、休みなしに働きました」と答えた。こうなると命が心配になる。

 春節は、消えます。近い将来。消えないにしても、姿を変えます。

 中国の人が一族の結びつきを大切にする、家長を敬う、年長者を大切にする、それはもうすごいものです。麗しい、と言って言えなくもない。しかしそれでも、実質的に意味のないものは、人間の生活からゆっくりと、あるいは急速に、消滅します。そして私は、この春節の大移動と一時的に平素の何倍にも膨れ上がる「家族・一族」の世話のために家内のある人が、死ぬような苦労をする事も知っています。普通はそれは、女性です。

 「伝統だから」と、それら女性が、期間中命にかかわるような激務を耐える。日に日に疲労が深まるが、「伝統」は犠牲になるものの訴えに耳を貸さない。(もちろん、「訴えない」。少なくとも言葉では)

 しかし、これからは違うと、私は思う。

 日本でも多くの「伝統」が姿を消す。これからも消えるだろう。消えるべきだと思う。私はもう老人だが、とっくの昔に納得している。中国でそうならないわけがない。

 もし、そうなら?

 春節はかまわないが、この、「☆☆」という伝統は消えては困る。消さない、そう主張する人間がいたら。

 そこに利益があるなら、人はあるいは権力を持って意味のないものの擁護にのりだすかもしれない。

 そのとき、「過去」は本当の姿を現す。

 つまり、実は「醜悪」だったということだ。日本の成人式のように。

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