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2014年1月 8日 (水)

和服を着たい、とあなたは言う

 「和服が着たい」という中国の学生がいて、うう~んと考え込んじゃうのであります。

 「浴衣ならこの間、うちの奥さんに着せてもらったじゃないか」というと、「浴衣じゃない、ちゃんとした和服が、着たいのだ」という。

 それになんと答えるか。「じゃあ、うちの奥さんにもう一度頼んであげよう」というのは、簡単であります。しかし、私には全く別な思いもあります。女性の和服というのはその存在自体が、立派に自立した一つの『哲学』であるからです。言うまでもなく、その哲学を知る、知らないにかかわらずそれを「着たい」というのも、『哲学』であります。

 くだんの学生に向かい、「和服というのは着ると、著しく行動の自由が制限されるんだよね」といいます。すると彼女は、「見れば分かります」と返答します。

 「まず、ご飯が食べられない。水を飲むのも大きく上半身全部を使わないとできないほど、不自由なんだよ。場合によっては、息もできない。」

 すると彼女は、「まぁそうでしょうね」と言います。彼女は、「大変だから諦めたら」と私が言おうとしているのだと解釈しているのでしょうが、実はもっと話は入り組んでいます。

 和服が、女性の行動をはなはだしく制限するものであることは論を待ちません。中国人である彼女が言うように、見れば分かります。歩く、走る、座る、立つ、吸う、吐く、食べる、すべてにおいて不合理で不可思議です。でも、今なお京都の旅館へ行くと接客の女性はすべて和服を着、頭部が重たくなるのを承知で豊かな髪を全部首より上でしっかりとまとめています。単に「へぇ」とうなずくのさえ、大変な苦労であることが見れば分かる。

 ただ、奇妙なことに平素の行動がどうであれ性格が、気質がどうであれ、和服を着ると行動のパターンが共通になります。ある意味で当たり前でありますが、そこにこそ、あの不自由極まりない、しかも決して安くない、日中の衣服としては不合理のカタマリのような和服というものが文化の変遷の中で消滅せず生き残ってきた、それどころか日本の象徴のように思われ日本の女性自身もそう思ってきた、その理由があるのだと思います。

 そこで私は、「和服が着たい」というのであればわきまえて欲しいことがある、それを、目の前の中国人大学生に告げようと思います。

 まず、女性というのはその存在の根源から、暴力的だということです。

 腕力や狩りのフィールドを移動する走力、獲物を追い詰める際に必要な忍耐力において男に劣る人間の女は、ライオンのように出しゃばったりせず、「狩りはあんたにまかす。あたしゃあんたが猪を捕まえてくるのを安全な岩陰で待ってるから」と宣言し、安心して胸とお尻を膨らませた。男というのはどうしようもなく浮気者だから、女は目に見えないところからでも男をコントロールする必要があった。暴力というより、呪術、といった方がいいかもしれない。すべての女はこの暴力を引き継いで生きている。歴史上最初の女であるイブが東アフリカで誕生してから500万年、ずっと女はその暴力によって、筋力その他のフィジカルな条件ではずっと自分よりまさる男というものを、コントロールしてきた。「ねぇ、1つだけ聞いて1つだけ。1つだけ私の言うこと聞いてくれたら、あとは全部あんたの思うとおりしていいから」と女は言うが、やが全世界がその女の意思にひれ伏すことを、男は良く知っている。

 もちろん女だって知っている。

 すべての男は、女が怖い。

 今ではもう日本のどこにも無いが(無いよね?)、昔は女人禁制の山が、神社が、日本各地に存在した。狩りの共同体やそれ自体が神事である相撲の外形を守る人間の共同体は、つい最近まで女の参入を許さなかった。女が不浄だから? 冗談じゃない、強いからだ、怖いからだ、すべてを男を越えて管理所有・支配する呪術の能力を持つ女を、脳みそを持つ男なら怖いと思わないはずがない。だから、制限した。そこから出るな、そのスピードより早く走るな、歩くな、しゃべるな。

 江戸時代も後期になると、自分が男か女かわからない女が増える。何が女人禁制だよ、あたしだって酒ぐらい作れるよ、あたしだって誰を横綱にするかしないかちゃんと判断できるよ、あたしだって狩りのフィールドで飛ぶ鳥を仕留められるよ、ちょっと銃を貸してみな、と言い出す。で実際にやってみると、本とにおいしい酒が作れたり銃が百発百中だったりする。男は驚くのだけど、別に驚くことじゃない。

 しかし当の女は、女自身は、自分の内なる暴力に気づいている。その暴力を生き物としての偉大な才能と呼ぶことに私は全く抵抗がない。それは男にはない。男にあるのはせいぜいが猪を落っことす穴を掘る腕力だ。猪を獲る人間とそれを必要とするワタクシと横合いから出てきて努力もせずにその猪の一部を掠め取ろうとする第三者がいて『社会』ができてしまう、その『社会』をコントロールする能力を前にして、落とし穴を掘る腕力なんか、なにほどでもない。

 そして女は自分の『暴力』に深く気づいて、生きている。時にもてあましてもいる。中にはその暴力を眠らせ、本当の阿呆のように男の言うことだけ聞いて生きようとした女もいたが、女の『暴力』(暴力という才能)は必ず女の中で立ち上がり、自分を無化しようとした当の女に体内から復讐した。

 和服は、女に『強制』されたのか? あまりに『強く』『暴力』的だから? あまりに美しいからその顔を出すな、と教義上強制した、ある種の宗教のように?

 違う。

 女は、自分で選んだのだ。

 飼いならすことのできない、ラジカルな暴力と自分が共存しているそのことに、所有者である自分自身は抵抗できない、そのことを深く知って、女はつかの間不自由と軟弱を演出しようとしたのだ。そして彼女らは意外なことに気づいた。肉体的ないちじるしい不自由がある時、自分が奇妙に『自由』である、そのことに、だ。

 女は(女でなくても)自分が自分である、そのことから生涯自由になんか、なれない。(と思っていた)

 だが、和服が強制する制限の中で、少なくとも行動の不自由については受け入れるとき、機会があるごとに体外へほとばしり出ようとしていたあの『暴力』がつかの間、眠っている、そのことに気づいた。更にそれは逆説的にふたたびこの暴力と共存して生きていこう、生きていけるという女の安らぎをも生み出した。

 京都の旅館をモデルにした、ものすごく脚本のよくできたドラマがある。

 2人の女性が登場する。(じつはもっといっぱい登場するが、とりあえず2人)

 東京霞ヶ関で財務官僚を務めていたのをやめ、母の旅館を継いだ28歳の女は、生まれて初めて和服を着てとまどう。言うまでもなく財務官僚というのは存在自体が暴力だから、しばらくの間和服を着ようがジーパンであろうがその暴力は自由に体外へほとばしり出る。彼女は立ったまま、しかも和服を着たまま何かを食べ、走り、叫ぶ。その意味に気づかないまま。しかしその28歳もだんだん、ある事に気づく。気づくにしたがって和服は彼女になじむ、似合う。

 もう1人、もと財務官僚よりはるかに美しい女が登場する。こちらのほうがはるかに暴力的だ。画面に登場する限り彼女は絶対に和服を着ているが、和服を着ている彼女は決してものを食べない、飲まない、早足で歩いたりしない、大きな声を出さない。

 しかし和服(ものすごく似合う)の中でその暴力はしっかりと自己主張し、彼女になじんでいる。だから彼女はあからさまに男を口説くこともできるし、旅館の乗っ取りを画策していることを公言することもできる。彼女がもっと自由な服装でいたらそれは本当に、単純に、含みも何もないただの、魅力のない暴力にしかならないだろう。そして梅垣鈴香が自分の内なる暴力と『共存』しようとするもくろみを、決して許さなかったことだろう。

 で。

 劉さん。

 あなたが「着たい」と思っている和服というものには、これだけの意味がこめられているのです。

 どうしますか?

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コメント

いつも楽しく拝見しております。江戸時代の帯結びを趣味としている者です。
和服をひとつの哲学とおっしゃっていますが、どの時代のどの階層の衣装についておっしゃっているのでしょうか。
和服の帯が現在のように幅広くなったのは江戸後期、帯枕(お太鼓などの帯結びを支える道具)ができたのは幕末だと言われています。
また、動きが制限されるほどの華美な装いができたのは、ほんの一握りの富裕層や、家事労働をする必要のない遊女です。
飲み、食べ、叫び、忙しく立ち働いていた庶民の姿とはかけ離れたものです。
仮に、和服が現在のものであるのなら、動きにくさと哲学は結びつきにくいのですが…
和服姿で日常生活が送れないのは、単に着慣れていないためではないでしょうか。
数多くの民族衣装がそうであるように、和服は儀礼の場での正装として位置づけられています。
もしくは、限られた職業における制服のようなもの。
和服が日常生活とは馴染みのないものであり、着用すると身動きできなくなるのは、男女共通ではないでしょうか。
己の民族の文化を愛し継承する意志表示として和服を着用する者としては、先生のおっしゃる哲学には承服しかねます。長々と拙い文を書き散らしたことお許しください。

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