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2014年1月30日 (木)

私の歌が嫌いなら聞かないで下さい、と言った歌手は立派だ

 どうしても、わからないのであります。

 私は「そんなに中国が好きなら一生帰ってくるな」と言われても「一生ってもあと数年ですけどね」と応じ、「カリフラワーに住む虫はカリフラワーが全世界だと思っている」と教えられても「ブロッコリーのほうが、視覚的にはその比ゆにマッチしますね」と返信しちゃうような、反省のないひねくれ者なのですけど、そう自覚したとしても、わからないのです。

 何か、日本という国が、いよいよ私なんかには理解できない場所になっているようです。

 あるドラマがいやなら、テレビのスイッチを切れば済むことでは?

 7つの放送局が(北海道中部の話ね)朝から晩まで切れ目無しにどれほどの必要性があるのかわからない情報(あえて情報と呼ぶとすれば)を垂れ流しているのですから、そりゃ気に入らないことの2つや3つはありますよ。7つの放送局が、朝から晩まで徹底してオレが気持ちよくなることばかり言い続けないと許せないと考える人がいたらそりゃもう毎日が不安で不安で仕方ないでしょう。

 私は中国におりますしそもそもテレビが見られませんから誰が出演するどんな番組なのか存じ上げません。無責任を承知で書くのですけど(そもそもこりゃ生存報告の日記で一日平均25人くらいしかごらんにならない、しかもその25人がほとんど固定メンバーという狭いブログだ、あぁよかった)しかし、テレビを見る人の「良識」を信じるなら、(オレと同じ感性なのが『良識』だと考えると危ないですけど)静かに無視するのが良いと思うのでありますが。

 ドラマでも映画でも小説でも舞台でも、時には絵画でさえ、鑑賞者をある方向に「誘導」しようとします。狭い比ゆで申せば、やくざ映画を観て映画館から出てくる人の歩き方はなんとなく肩をいからせている、あれであります。私にとってそれが「怖い」と思うことが、ないではない。しかし、「この番組が視聴者を『誘導』しようとしているその方向性が許せない」と怒って排除しそれがつぎつぎ成功するような国は、なんだかずいぶん危ないもののようですよ。誘導と言えばこのインターネットというもの自体が明確な誘導の意思とその方向性を持っている。(ヤフーとmsnとニフティじゃ少しずつ違うけど)でも何をするにせよ金がかかっているんだし金を持っているものは同時に「意思」を持っている。誘導は当然で、だからこそ自分の「良識」をなんとか保つ客観性を維持し点検しないといけない。自分と、アナタの良識を、なんとか信じる努力をしないといけない。

 あるドラマが嫌いなら、自分はそのドラマを見ない。テレビの全部が嫌いなら家の中からそれを排除する。コマーシャルが許せないならそのスポンサーの商品は、「自分は」買わない。それでも自分に不利が生じていると思うなら、戦うしかない。しかしドラマは表現物で、単に同意権の人を募って排除すると結果的に自分の住む世界を、狭くする。私はそう思っている。だから戦うなら、自分も表現者となる。それが専門でなくても一時的にでもその必要がある。何も日本テレビのゴールデンタイムを1時間買いきれというのじゃない。今の時代、何かを表現しようと思うならその媒体は必ずあるし、鑑賞者の「良識」を信じるなら結果的に自分の住む世界も広くなる。

 私の歌が嫌いなら聞かないで下さい、と言ったのは井上陽水だ。でもその一言だけで彼はいかなる人も攻撃せずただ自分の信念で自分の歌を歌った。

 今、彼が立派に思える。

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