« 我が黒龍江東方学院には勤務評定がある? で私は? | トップページ | 和服を着たい、とあなたは言う »

2014年1月 6日 (月)

人はどうして誰かを、何かを評論する時、気持ちいいのか

 どんな国のことでも、映画や小説など芸術作品でも、悪口を言い出せばきりがないです。

 当たり前ですが一人の個人でも、悪く批評しようと思うとあとからあとから言葉がわいて出てきます。

01

 そして、多くの人は、自分が何かについて悪く批評している時に味わう奇妙な、同時にもっともな、心地よさ、の理由を知りません。

 同様の問題が自分にも存在し、客観的な他者について論評しているようで実は自分自身の内奥に潜む問題を明らかにしている、そのことによって自らの内部の欠陥を客観化することに成功した安心と喜びです。

 そしてその安心と喜びは言うまでもなく不思議で不合理なものだから、そのままの形で享受したのでは単純な矛盾となりかねません。そこで人は、しばしば怒りという形で表明する。そうやって他者と、言うまでもなく自らを、納得させる。

 私が大切にしているDVDに、サルバトール・ダリにスペインの雑誌記者がロングインタビューを試みた、その映像記録があります。驚くべきことにここでダリはスペイン語ではなくフランス語でしゃべっているのだけど、それはまぁどうでもいい。

Photo

 「ある日私は詩を書いた」静かにダリはそう語ります。

 「糞便にまみれた尻のことを、そのままの言葉を使って書いた詩だ。ところが、私の仲間はその詩を読んで怒り出した。言葉と人間に対する冒涜だ、というわけだ。でもそんなことのために彼らは怒ったのではない。」

 なぜでしょう、と魅力的な雑誌記者は尋ねます。ダリの答え。「自分の尻が糞便にまみれていたからだ。」

 ダリが言いたいのは、自らの汚点が他者の中に発見された時、あるいはそれをあからさまにされた時、人というものはことさらに怒る、ということです。もちろんダリは、それら友人の尻について話題にしたのではない。自分と自分の親しい家族の尻について書いたに過ぎない、でも友人は怒る。ダリのように考えると、納得がいきます。

 恋人に対して、あるいは親しくなったすべての男性に対して、ことさらに口やかましくなる女性というのが存在します。ったく、何度言えば分かるのよ、トイレのタオルは毎日換えないとダメよ、何かを使ったらちゃんと元の位置に置きなさい、それ、買う前にちゃんと添加物と賞味期限調べた? 百人の人がいれば百人とも同じこと言うと思うけど、そのシャツにそのネクタイ、合わないわよ、本当、あなたって私がいないと何にもできない人なんだから。

 あなたが「いるから」何にもできないのです。

 そしてこの人が怒るのは、自分自身の人生がコントロールできないからです。他者をコントロールするのは、自分をコントロールするより簡単です。結局他者も自分もコントロールなんてできません。しかしどっちを怒るのが合理的(らしく)に見え、簡単か、考えるまでも無く明らかだ。

 さて私は、この、ごくごく限られた人しか訪れない生存報告ブログで、何を書こうとしているのか。

 小林秀雄をはじめとする「評論家」が大嫌いだから。それも、ある。

 ややもすると小林のように創造をしない評論をして(あるいは、「想像できないから仕方なく評論をして」)授業になった、仕事になった、と納得する自分を戒めたいのか。それも、ある。

 結婚するすべての男性に対して、すべての女性の生活批評を甘んじて受け入れよ、と言おうとしているのだろうか。それも、ある。

 日本人が中国、あるいは中国人に対して批判めいたことを言う時、そこには牛込柳町や四日市、水俣をはじめとする、自らの、負の記憶があるからだ。それも、ある。

 あと、ええ~と。

 あれ? そんだけしかネェや。

 ごめんなさい。

« 我が黒龍江東方学院には勤務評定がある? で私は? | トップページ | 和服を着たい、とあなたは言う »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589238/58894031

この記事へのトラックバック一覧です: 人はどうして誰かを、何かを評論する時、気持ちいいのか:

« 我が黒龍江東方学院には勤務評定がある? で私は? | トップページ | 和服を着たい、とあなたは言う »