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2014年1月17日 (金)

1月17日は忘れてはいけない日

 京都で生まれ、兵庫県で教員をしていた私には、決して忘れてはいけない日というのがあります。
 1995年1月17日、阪神淡路大震災の日はその1つです。
 そのとき私はすでに北海道へと転勤しておりましたが、新聞に掲載された写真に息を呑んだこと、よく覚えています。
 一緒に仕事をした理科の先生(女性、災害時すでに退職)と、卒業生が2人、亡くなりました。機械体操部の男子と、女子バレー部のセッターをつとめた生徒でした。
 卒業時の担任を務めたクラスの生徒から、何度も電話がかかってきまました。家の前の道路が地下から噴出する泥水のために水浸しになったということを説明してくれる男子がいました。
 「エキジョウカ、いうねん」

 ヒロウチという、学級代表を務めた男子の電話。「今、どうしても同窓会をしたい」というのであります。何で今なんだよ、大変だろ、と聞くと、「今です」という返事。まだ瓦礫がいっぱい残る兵庫県尼崎市を、その年の夏、訪ねました。まだ壊れて瓦礫の撤去が行われていない建物が沢山ありました。ビニールシートがかかったままの家屋もいくつもありました。
 阪神尼崎近くの居酒屋さんに10人ほどの卒業生が集まりました。あの子死んだね、あの子のお母さんが死んだよ、というような話をしながら、どういうわけか「明るい」。そのことに気づきました。その明るさは決して死者を軽視するというのではなくて……。
 震災ですべての家財が消失し、残ったのは自分と母親の体、それにホンダの400のバイクが1台だけ、という男子がいました。仮設住宅から職場に通っていました。本当に、1000円のお金もなくなった、というのであります。でも彼の話も「明るい」のでありました。のち、彼はその同じ仮設住宅の女性と結婚しました。

 みんな、「希望」を持っていたのであります。というか。
 「希望」しか、なかったであります。

 そんなことを、思い出しました。とても19年前とは思えません。

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