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2013年12月17日 (火)

話を「したがる」人は異性にもてない

 どんなことにでも、「あ、それ知ってる知ってる」と、口を挟んじゃう人がいます。

 数人で談笑していて、誰かがふと「外洋航海できるボートの免許を取りましたよ、海流や方位の計測で、この年になって算数の勉強するとは思いませんでしたよ」とか、言います。へぇぇ、そうなんだぁ、と聞いていると、場はなごやかで話し手も気もちいい。こっちから促さない限り、自慢話をそれ以上続けないものです。

 ところが、「あ、そのことならねぇ」と、身を乗り出してしまう人がいます。黙っていられないのです。

 「神奈川の叔父がボートの免許を持ってるよ、外洋航海できる免許? うん、たぶんそうだと思う。彼がこの間、釣った魚の大きさなんだけどさぁ」と、話を取ります。こういう話は誰も聞きたがりません。あからさまに不愉快な顔をする人もいるしトイレに立つ人もいます。さりげなく話題を変えようかと試みる人もいますが、変えたところでまたこの人が「そのことなら」と割り込んでくることは明白なので、ため息をついて沈黙をし、聞いているふりをするのが最良というものなのであります。

 私はこういう人を見るたび、自分はこういう失敗をしていないだろうか、と思い返し、そしていくつかの「思い当たるふし」を自分の記憶の中に発見し、密かに赤面するのであります。ずっと黙って話を聞き、「それについては中さんどう思う?」と言われてはじめて、「う~ん※※のような気がしますね」と短く返答して、そのまま終わりにするのが最良のようであります。

 だいたい、話というのは「する」より「聞く」ほうがずっと難しい。じっとおとなしく聞くには、話している人の十倍の情報量が必要であります。集団の会話に耳を傾けてみるとよい。一番物を知っている人間は、あまりしゃべりません。教師を見たって明らかです。べらべらべらべらしゃべるのは、「知らない」からです。授業というのは教壇に立ち、「する」より机に座って「受ける」ほうが一千倍難しいのですが、それは基本的に「教える」のが無知な人間の行為であり「聞く」のが賢者の態度であるからです。経験を積んだ教師ほど、自分はしゃべらず生徒にしゃべらせますが、生徒が「しゃべる気になる」先生というのはやっぱり「物を知っている人」ということになるわけで、62歳になっても私には「遠い目標」なのであります。だいたいこういう話を、ここまで長々と書く、そのこと自体が私の無知をあらわしております。

 でも、「話を取りたがる」人の損失は明らかなので、私は言うのであります。

 それは、「異性にもてない」ということです。男でも女でも、話を聞いてくれる人というのを愛し、自分の中の何かを(ときには大事な情報を)「まかせる」傾向があります。それはとても大事なことで、恋愛という本来は秘められた行為である繁殖戦略の、要諦であります。話を「したがる」人間は基本的に、もてない。一時的によい関係を保っても肉体をはじめとする皮相な恋愛要素が「消耗」したら簡単に別れてしまいます(例外はもちろんあります。でもダメ人間とダメ人間の恋愛の事なんか言いたくない。口が腐る)。

 この私の生存報告ブログの「饒舌」が、私の「知」に支えられているのか「無知」によるものなのか、したがって明白であります。が、私の場合は平気だ。もう繁殖戦略を立てる必要のないオジンだもん。

 でも、さぁ。

 広い中国の、とても遠いところから来た学生と学生食堂で向き合って座り、こっちからは何も言わないでただ話を聞いているときの、スリリングな雰囲気って、すごいんだよねぇ。

 そのことについて自分は何も知らない、だから話して、と思える瞬間はとても気持ちいいんだよねぇ。

 それ、残念ながら来年7月で終わっちゃうんだけど。だれか私のかわりにここにきませんかぁ。10月には本学にプールもできるそうですよ。プールといえば……。

 あ、いけねぇいけねぇ。

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