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2013年12月 7日 (土)

春節がきても私は家には帰りません、という生徒との食事会

 来年の131日は、中国人にとって一番大切な、春節。だいたい120日くらいから、215日くらいまではお祭り騒ぎになるそうです。今からその話題で盛り上がるグループがあります。家族で日本を旅行します。海南島ですごす予定です。私は普通に帰省してお母さんの手料理を食べます……。

 何しろ春節中は、公共機関であるバスも運転手が休暇を取るので間引き運転、というのですから、日本とは違う。(日本がおかしいのかもしれない)

 来年の春節に家に帰りません、という生徒と、金曜日の夜に食事をしました。

 「浙江省に、西湖という景勝地がありますが、その湖のそばに5個の星で評価された高級ホテルがあります。そこでベッドメーキングのアルバイトをします。」

 へぇぇ、と私は感心しました。そこは彼女の故郷じゃなく家があるわけでもないので、ホテルに住み込みで働くことになります。

 「実は、帰る家がありません。今年の夏休みも私は住み込みのアルバイトをしていました。両親は、離婚しました。両方とも私の生まれ故郷を出て違うところで生活をしています。きょうだいはいますが結婚していてそこで私が休暇をすごすわけにはいきません。」

 彼女は、大学を卒業するまでずっとそうやって帰省先のない生活をせざるを得ないのだ、と思いました。大学の学費や寮費はあわせて年間で2万元(日本円で32万円ほど)かかるはずですがそれはどうしているのか、聞きませんでした。

 両親の離婚と帰省先の喪失は不幸にはちがいない、でもそういう個人的事情を語るときのこの明るさはどうだ、と思いました。そして気づきました、彼女には、明るくそれを語ることが「必要」なのだ、暗く沈んで反省してもなに一つ得られるわけではない。誰も同情してくれるわけではない。そもそも同情なんか生きていく役に立つかどうかわからない。そんなこと言うと、ちがうっ、という日本の女子がいそうだが、同情しあって何か心の重荷が下ろせるとしたらそんなのもともと重荷じゃない。

 この人には、絶え間なく彼氏がいます。近くにある理工大学の学生だったこともあるし公司職員だったこともあるし武装警察、つまり軍人だったこともあります。この人には、恋人が「必要」なのだ、ある特定の誰かとの、永続する幸福を夢見る時間が「必要」なのだと思いました。問題は日本でも中国でも男のほうが「永続」を望まないということだけど、そのような「現実」は彼女として直視したくない。というか直視したら生きてなんかいけない。

 1時間半の、2人きりの食事会が終わりました。そんなことしてはいけない、というのに、彼女が勘定しました。私は、アパートに帰ってから、平安時代の貴公子のようにメールを書きました。

 「会話は楽しかったしあなたの連れて行ってくれたお店の食事はおいしかった。西湖に旅行したくなった。おやすみなさい」

 彼女から返事が来ました。

 「励ましてくれてありがとうございました。元気になれました」

 あなたはもともと元気だったじゃないか、と思いながら返事しました。

 「もしだれかがあなたを励ましたとしたらそれは私じゃなくあなた自身です。」

 晩安、というたった2文字の返信が来て、光源氏と朧月夜との手紙のやり取りは終わりました。

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