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2013年12月16日 (月)

ワタシがワタシであることに何か問題が?

 私は、人間の(というか、国民の)気質というのは話す言語にかなりの部分規定されている、と信じております。というかそんなこと私みたいなボウフラが言わないでも、片岡義男大先生も言っておられますし、主語論争で有名なカナダご在住の金谷武洋先生もおっしゃっておられます。

 目的語と述語と、どちらが先かでその人の(その言語を話す民族の)行動様式は違う。「君を・愛す」民族は愛する対象があって初めて愛という動詞が具体的意味を帯びるのに対し、「愛す・君を」民族はまず愛している私がいてその行動(動詞)が君という対象を発見する。

 片岡先生も金谷先生ももちろんそれほど単純にはおっしゃっておられないのですが、ボウフラはまずこう単純化しないと授業教材にならないのであります。同時に、日本人の行動様式の難解さ、文末決定性にも現れるなかなか主意をあきらかにしない国民性とも、関係している、とボウフラは思うのであります。

 おかしいぞ、主語→述語→目的語と続く言語はたとえばヒンディーのようにいっぱいあるが日本人のように奥ゆかしくなんかないぞ、という声が聞こえてくるのでありますが、ボウフラはごにょごにょとごまかすのであります。宗教をはじめとする他の文化要因や制度との関係が、とか。

 さて。

 まず行動するワタクシがいる、動詞を先に述べる民族は突き進む、とおっしゃったのは片岡義男先生でありますが、先生はアメリカ在住ですのでよけいにそう感じられるのでしょう。ケンカで負けないというか謝罪しない、あの北野武監督がアメリカの街角で自動車の接触事故を見た、絶対に双方謝罪しない、引き下がらない、でも良く聞いてみるとはじめから終わりまで「ファック・ユー」しか言っていなかったというオチまでついてるのですけど、主張を曲げないという点では同じような体験が私にはございます。そんなに多くないけど英語を話す友達は私にもいる。

 で、今、中国にいる。

 中国語とどれほど関係しているのかわかりませんけど(いやいや、ボウフラは「関係はある」と思っております)、中国の方も自説を曲げません。ごく単純な「普通に道を歩く」ようなことでも、「曲がるのはお前だ」と突き進みます。これは本当です。今はハルピンは零下25度の厳冬期なのですが(まだまだ寒くなる)地下鉄でもラーメン屋でも出入り口にはぶあつい幕があって通りにくい。夏より狭くなるわけなのですが「私が先に通りますが何か」という迫力で向かってこられます。私は基本的に女性とは接触するのも近づくのも嫌なので「ぶつかるかも」と思うと反射的に逃げる癖がついている。一度、黒龍江大学近くのスーパーから出ようとしたときなどは余りにも多くの人がこちらに向かってくるので、これは春になるまでこのスーパーからは出られないかも」とネスカフェのビンを抱えて青くなったことでございました。

 中国の自動車の運転手はものすごくうまいです。車両感覚があるというか、すり抜ける時はバックミラーすれすれ。タクシーに乗っていると「おお、ぶつかる」と思うのですがぶつからずすり抜けてゆく。一方では「譲らない」態度もスーパーの出入り口同様なので接触事故が多いです。よけるのはお前だ、お前だ、と双方主張しているうちにコツンと当たっちゃうのでしょう。一応中国の道路では左側通行がルールのようなのですけど逆行するドライバーはいっぱいいるし(バイクは特に)本当に危ないのですけど、逆行するドライバーさんも「私のやっていることに何か問題が?」という顔をしています。中国人の悪口を言いたいのじゃなくて、私は言語と行動の関係について、考えていたのであります。

 街角の狭いところをどっちが先に通るかなんてどうでもいいことのようですけど日本語には「一事が万事」という便利な成句がある。それは恋愛と関係し授業中にトイレに行くかどうかに関係し……。

 あと、南の島の帰属をどう考えるかにも結びついているとか?

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