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2013年12月 9日 (月)

何かを褒める、それは「くれ」ということ

 全く、あなたという人は同じ失敗を何度も繰り返すのね、というのは我が配偶者様の言葉でございます。

 中国人が何かを持っている時、何かを食べている時、それを褒めるのは時に危険だ、ということであります。

 「おお、おいしそうな三明治(サンドイッチ)だね、どこで買ったの? 僕も買ってこよう」うっかりそんなことを言うと、相手は100%、食事を中止して「あげます」と言います。何かを褒めるというのは、「それをくれ」ということなのです。

 食べ物に限らない。

 私は時計が好きであります。特にスケルトンの、多針式の、男物の厚手、というのに非常に弱い。そういうのを見ると、いつだってクラクラっとなっちゃうのであります。先日、そういう時計を持っている男子がいました。彼の手首の幅とほぼ同じ直径の、巨大な時計です。私の好みだ。

 「お、いい時計じゃないか。どこで買ったの?」

 すると彼は瞬時に時計を外し、「先生、どうぞ」どうぞって、まさか時計をもらえるわけがないじゃないですか。そういうと彼は「僕だってもらい物です」誰にもらったの?「父からです。大学の入学祝に」冗談じゃない、ますますもらえるわけがない。

 でもこれ、実話であります。中国語では、「真的? 玩笑的話?」という。「本当ですか? 冗談ですか?」私は、冗談を言っておりません。中国人に向かって、特に年長者が年少者に向かって何かを褒めるということは「それを、よこせ」ということだ。

 同じ職員室の女の先生ご一同に、食事をご馳走したことがありました。7人ほどの先生が集まってくれましたけど、ハルピン市内の日本料理やさんで、500元しませんでした。すると翌日、その中の一人、王先生が、「先生飲んでみてください」と、小さなお茶の袋をくれました。飲んでみるとこれがたいそうおいしいのであります。中国茶というのは淹れ方がやたらと難しく、プーアル茶なんてそのために飲む気もしないのですが(上手に入れられたためしがない)王先生のお茶はおいしかった。たぶん日本茶と淹れ方がよく似ているのでありましょう。

 ついついうっかり、「あのお茶はおいしかったです。ありがとうございました。」と、翌日言っちゃいました。言っちゃってから、ああ~また失敗を、と思いました。62歳の男の教員がちょうど半分の年齢の女の先生に贈り物の感想を述べるということは、「また、買って来い」というメッセージなのです。

 翌日何が起こったか、説明の必要はありますまい。

 ある日、餃子の皮を小麦から作ってみようと思い、「あの30センチほどの丸棒ですけどなんというものですか? どこで売っていますか?」と、質問しました。「質問」したのです。

 すると、そこにいた中で一番若い先生がさっと走り出しました。5分後、走って戻ってきました。

 「3軒目のスーパーにありました。」

 どんなに聞いても代金は教えてくれないし、もちろん受け取ってなんか、くれないのであります。

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