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2013年12月20日 (金)

今日は第3金曜日、家族対話の日

 毎月第三金曜日は家族対話の日にして団欒を『奨励』する自治体がある、という話を聞いてくそ面白くもないジョークだと思いましたが、そののちこれがジョークでもなんでもなく、まじめな話でそのための条例まで整備されているということをネット上で知るにおよび、一瞬おかしいのは私のほうなのかという『恐怖』にかられました。これを「馬鹿じゃないの」と思うのが私一人なら疑いもなく馬鹿なのは岐阜県じゃなくこの私であります。もちろんもともと、頭がいいとは思っておりませんけれども、それにしてもここまで馬鹿だったとは。自分の事ながら天を仰ぐ以外にないのであります。

 誰かが(たとえば外国のネットユーザーが)笑うとかそんなことはどうでもいいのであります。この冗談のような、というか冗談そのものの「条例」によりどこかに深刻な負の影響が及ぶとしたらそれはほかならぬ日本の、対話を必要とする「子ども」自身の内部に、じゃないのか。

 ボウフラは子どもの頃、かなりひねくれておりましたが、それほどひねくれた子どもじゃなくても、少なくない数の子どもが、「大人はこんな法律を必要とするほど、家庭の『対話の時間』をコントロールできていないのか」と考えるはずであります。私の3人の子どもはみんな成人を終えましたが、たぶん全員、上記のように考えたはずであります。だまってこのネット記事を読む『素直な』子どもでも、ある日父親が、「今日は条例で定められた家族対話の日だから食後はテレビを消してお話にするぞ、さぁマル子、お前から話せ」とか言ったら、そうとうに白けるのじゃないでしょうか。

 私でも、子どもに、「今日は学校でナニがあった」と話しかけることは、ありました。末っ子の返答はいつだって、「別に」でありました。君は沢尻エリカか、と突っ込むと、「それじゃ普通」と、なかなか気の利いた受け答えのできる愉快な子どもに育ちました。別に、でいいのであります、普通、でいいのであります。言葉なんてしょせんその程度です。あぁお父さんそれじゃぁネェ体育の授業で跳び箱5段が跳べたよ、一番運動神経がいいヒロベコウジ君は7段だからもっと練習しなきゃぁ、とか言い出す子どもならそっちの方が心配であります。それらすべてを「別に」か「普通」の3拍モーラでクリアできるならエネルギーの節約になってよろしい。

 別に、でも普通、でも言葉なんてどうでもよろしい。庭に出てキャッチボールしてみると良い。父が構えたミットの真ん中にちゃんと球が来るかどうか、来るとしたらどの程度の強さか、こぼれ球を拾いに歩く時の子どもの足取りはどうなのか、百万の言葉より、たった5分のキャッチボールが、限りない多くを物語ってやまない。そういう通常の、当たり前の家庭の創造行為をまったく理解できない人間が、「家族対話の日」など作って喜ぶのであります。

 子どもは、黙って大人を馬鹿にしております。そんな条例を作るような議員を選んで得得としている、そして対話が増えて家庭と日本が平和になると「本気で」考えている、まさか自分の父はそのような壊れた人間じゃないだろうと、まだしも思える子どもならいい。しかしその子どもにしても、日本の父におしなべてこの家庭という最小の共同体もコントロールできる体力と知力がないのだという不安と絶望には、直面せざるを得ない。その不安を払拭するのは目の前の現実の「父」しかいない。

 でも条例作成者は、「君の父は無力だ」と、宣言した。

 ……「馬鹿も休み休み言え」という成句がある。

 たぶんこの手の人は、馬鹿を言わないとしたら1365日を失語症状態で暮らすのだろう。

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