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2013年10月10日 (木)

紙幣の管理、中国はなんでこんなに杜撰なのか

 中国に来て、これは何とかして欲しい、これは日本のやり方の方がいいはずだ、と思うことはいくつかあります。まず何と言っても信号の設置であります。人間も車も無政府状態で枝道から本道へ飛び出す、車は徐行ぐらいはするけど一時停止なんかしないから(一時停止の標識がない)向こう側へ渡ろうと思うとすでにそれが毎回、丁半ばくちであります。あやうく命を落としかけたことは何度か有ります。車両が来る方向ばかり見ていてもダメです、反対車線を逆行するオートバイも多い。オートバイは基本的にナンバープレートなんかつけませんから、(時には4輪車でもつけない)後ろに巨大なネギの束を乗せて逆車線を爆走するおばちゃんが免許を持っているのかどうか極めて疑わしい。

 とにかく、信号を設置して欲しい、安心して渡りたいと、いつも思うのであります。

 それから、食堂の盛り。

 決して食べられないとわかっている量を、がばぁっと盛ります。

 学校食堂の、いつもよく利用するコーナーの若くてかわいらしい店員さんとは顔なじみになりましたから、ご飯もおかずも適量を持ってくれますが、町の食堂や旅先なんかどうしようもありません。「シャオ」「グォダ」「ハオラ」と声を掛けるのですが、どれも基本、通じません。横に生徒がいて、「少なく盛るように言ってくれ」というと、一発で通じるように言ってくれます。きっとそのための発音があるのだと思います。今もって習得に至っておりません。以前、上に書いた全部を言ってみたことがありますが、「はいはい、あんたは何を言ってるんですかぁ」という表情でニコニコしながらどっさり盛ってくれました。

 「オレの母親はなぁ、ご飯を残すとほっぺたを叩いたんだよ、みんなそうやって育つんだよ」と生徒に言うと、「逆じゃないんですかぁ、全部食べたらほっぺたを叩くんでしょう」と言います。13千万が食材を残したら、なんぼの損だろうと思ってしまいます。

 それから、紙幣の管理。

 商店で何か買い、100元札を渡すと50元、20元、10元、5元、1元の札をごちゃごちゃ混ぜてお釣りをくれるわけですけど、くしゃくしゃになっていて管理はでたらめです。端っこは折れているし、真ん中に切り込みが入っているし、何かメモをしてあるし、一部が欠損しているし、何のために1949年の建国の父の顔写真を印刷してあるんだよ、と思うくらい、紙幣は可哀想な扱いを受けています。

 これは直した方が良いと思います。通貨とは、「ことば」そのものであるからです。

 まだ英語をしゃべれない子どもを海外へ連れて行くと、ものすごく嬉しそうに買い物をします。商店へ入っていって、何か小さなものを選び、店員さんにそれを見せ、1ユーロ紙幣を渡すと的確にお釣りをくれます。立派なコミュニケーションツールです。通貨は岩のように丈夫な共通認識に支えられた、言語そのものであるのです。子どもは買い物をしてるんじゃない、コミュニケーションをしているのです。

 その大事な言葉を、中国人はなんとぞんざいに扱うことか。

 買い物から帰ると、まずやることは紙幣の整理であります。端っこの折れをのばし、全体をまずは四角い状態に復元させ、はんぶんに分離しそうな場合はセロテープで修復する。私は小銭入れと紙幣入れと2つ持ちます。もちろんそれを別々のポケットに入れる主義の人間で、ものの本によるとそうやって通貨を管理する人間は決して女性にもてないらしいのですがそんなこと関係ない、女性より紙幣が大事であります。私は、紙幣を相手に渡すとき、はじっこが折れていたり向きが違ったりという失礼なことをしたくないだけです。

 紙幣の管理の杜撰が何を象徴しているのか……。興味深い問題ですが、それをまとめるには至っておりません。

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