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2013年10月19日 (土)

「歌うクジラ」文庫化は喜ばしい、でも「文庫あとがき」なんでこんなに難解……

 「歌うクジラ」の文庫化はとっても喜ばしいことで、来年7月に帰国したらぜひ読んでみたいのであります。もちろん、単行本(文庫本、という呼び方に対してこういう名詞があるのか? 文芸本、という言葉もあったような気がするが)の時に複数回読んだのでありましたが、文庫になって読むのもまた、新鮮な感動体験であります。理由はわかりません。「ノルウェイの森」の時も「コインロッカーベイビーズ」の時も「愛と冒険のファシズム」の時も、同様でありました。「文庫あとがき」というステキな追加もあります。実際、それを目当てに文庫を購入する人もいると思います。「海辺のカフカ」のように、文庫あとがきを目当てに買ったらそんなものなくて、「わははは」と笑うしかなかったという愉快な体験もありますけれど。

 書籍の価格は得られる感動に比して異様に安直なのだと思っています。

 それはそれとして。

 よしもとばななさんが書いている「文庫あとがき」は、なんでこれだけネット配信されたのか?

 PRなのだろうかと考えて、すぐに「それだとおかしい」と気づきました。文庫あとがきを楽しみにしている人間はそれだけ配信される情報を「なぞる」ために買おうとはしないだろう。逆効果になる場合もある。そうかこういう内容なのか、と「納得」して、買わない人もいるかも知れない。

 そして、よしもとばななさんの書く文章が異様に難解であります。

 「歌うクジラ」自体はなんも難解ではありません。不老不死を手に入れた未来のエリートたちが生死の区別を喪失し、壮大な「いのちの不在」という恐ろしく長い時間を生きる、というか生体反応を示しながら横たわる長い長い時間を無意味に強制される、それは実際の地球文明のカリカチュアでもあるのだけど、それを心深く忌み嫌う作者の視点が主人公アキラ(大友克彦の漫画のパロディか?)に憑依して暴力的な否定、破壊という具体的な人間行動に結びつく。

 でもそれだけだと「普通じゃん」と言われかねないので、敬語の喪失と復権、助詞の意図的な誤用という高度でひどく魅力的な「文化」の生まれた世界を一方に希望として描く、という、この作者でないと決して構想できない、おそろしくも魅力的な作品世界なのであります。私はこの小説を読み終えてすぐ、どうしてもバイクに乗りたくなり、早朝だったのだけど139馬力の9Rにオイルを回し、滝川インターから士別までぶっとばしたのでありました。「今このスピードでこけたら死ぬのだ」と、何百回つぶやきながら。

 「洗練」が、日本の必然の進路であったことを認めながら同化を拒否して小説を書き続けてきた作者の疾走のスピードとその直線的な作風に、ばななさんの書くような難解きわまりない「文庫あとがき」はよくフィットするのでしょうか?

 ううむ、わからん。わからんけど、日本帰ったらこの「文庫あとがき」も読みます。紙で読んだら意味わかるかも知れない。よしもとばななさんは……「キッチン」にしろ「つぐみ」にしろ、小説自体は北海道美瑛の丘のパッチワークのようにわかりやすいのにな。

 わかりやすくて困るくらいなのにな。

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