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2013年10月 6日 (日)

圓生落語を聴かない秋

 落語が好きであります。しかし、この話題で楽しく語らえる人というのが私の周辺にはおりません。群馬県前橋市の名刹、D寺の住職と、まさか電話で会話するわけにもいかない。それにこのご住職は人物はすこぶる上等なのでありますがこと落語に関しては先代の三平師匠が好き、という(安くてどうも、すいぁせん、のあのコマーシャルの……)落語ファンなので、どうしたって私とは意見が合わないのであります。

 古今東西の落語家の中で私がもっとも回数多く「生で鑑賞した」のはやっぱり京都で育ったので桂米朝さんと枝雀さんでした。米朝さんの「立ち切れ線香」を聴いておいおい泣いたこともあります。そして惜しくもまだまだという年齢で世を去られた枝雀師匠に関しては、今なお「宿屋仇」が最高傑作であろうと思います。

 どういうわけか、ここ数年、つまり京都を離れて北海道に移り住んでということでありますけれど、最も親しんでいるのは圓生師匠であります。圓生師を「名人です、私の中では一番です」というと、すぐに「これだから素人は困る」という人がいっぱいいます。圓生師の落語が楽しく聞けなくなると大変ですので、私はいつまでも素人でいたいのであります。素人けっこう、大けっこうであります。

 圓生師の「火事息子」なんて、笑って泣けるすばらしい演目なのですが、中国へ来て14ヶ月目をむかえ(途中日本へ帰っていた期間もかなりあるが)、お、最近聴いてねぇじゃん、と気づくのであります。

 なぜ? と考えてすぐに理由がわかりました。

 停電しなくなったからです。

 2012817日、ハルピンに来たとき、そりゃぁもうひんぱんに停電しました。数時間単位の停電は日常茶飯事でしたし、30時間を超える停電だってありました。ハルピンの秋の夜は長く、停電は本当に恐怖でした。調理もシャワーも電力ですので何もできません。お湯も沸かせません。パソコンのバッテリーは生きてますけど、そもそも学内にあるサーバーが落ちていますのでインターネットはできない。暗くなると(午後4時には真っ暗)ベッドに転がるしかない。散歩できるようになるまで(あたりのものが見えるようになるのは午前7時)ミカンを食べパンをかじるしかない。水はアパートの屋上にある給水タンクから送られてきますがそこへ汲み上げるのも電力なのでやがて水も切れます。

 落語に救われたのでした。去年の秋、私は演目を200ほど突っ込んだスマートフォンで、長い停電を乗り切ったのであります。そういう時の落語は本当に楽しいものでないといけない。結局、志ん生師の「火焔太鼓」を聴いて爆笑するか、圓生師の「百年目」に、ひと言も聞き漏らすものか、と耳を澄ますか、談志師の「芝浜」を聴き、人間は嫌だけど落語はめちゃくちゃにうまいね、と悔しく感心するか、そういう「暗闇を忘れることのできる集中」を約束してくれる名人が、私には必要であったということです。

 気づいたら圓生師の落語を聴く回数がずいぶん減った。停電がないからだ。

 結局その程度の落語ファンでしかなかった? いやそれならそれでいいのだけど、ここにも急速に近代化するハルピンの町を、感じさせるものがあった。それに気づいた、ということであります。

 10月上旬の某日、ハルピンの最低気温、マイナス2度。いよいよ本格的な冬がやってきます。朝の散歩は今も6時にしますが、夕方の散歩はもう4時半には出発しないといけなくなった。冬が来ます。そして今年は、去年のようには停電しないでしょう。

 圓生師匠、すみませんいい加減なファンで。

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