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2013年8月22日 (木)

表現活動を規制する国家に明日はない

中国の学生が、アメリカや日本の作家の小説は盛んに読むのに、自国の、特に若い作家の作品については全く知らない、ということはこの生存報告ブログで何度も報告いたしました。第1次天安門事件から第2次天安門事件までの十数年にわたり、両親の離婚という不幸を経験した中国の青年がどのように成長していくかを描いた『僕はあなたの子どもだ』はまだ三十代の孫●(比叡山の叡の字の旁をとったもの)さんによって執筆されましたが、相当に読書好き、という生徒でも知りません。一部の若者に大変な人気のある同じ若手作家・韓寒ですが、『一部の老人』には忌み嫌われております。同様に、作風に当局批判が含まれるからです。

中国の中学・高校の先生は「若手の作家のものは読むに値しない。それは金目当てだからだ」と言い放ち生徒の読書傾向を『指導』するようでありますが、それは『余計なお世話』でなく『危険なお世話』であります。

オジンが若者に(あるいは、子どもに)その読書傾向を『指導』ないし『規制』するとき、そこには『親心』なんかがあるわけではぜったいになく、読ませる(見せる)ことには不利益が、読ませない(見せない)ことには明白な利益が、ある、それだけのことであろうと思います。権力を持ったオジンの利益が、権力も財も持たない若者・子どもの利益と対立するのは自然であります。

ここにきて、日本兵による中国人に対するむごたらしい行為があったかなかったかというようなこと言い立て、中沢作品の中身が虚構に根ざす(だから松江市教育委員会は正しい)ということを言っている人もいるようですけど、そういう人を笑ってはダメです。バカだから言うのではなく、利益があるから、言うのであります。

芸術活動やその鑑賞を規制する国家に明日はない、と私はかたく信じております。ことに今回は、戦争というのは残虐な行為を本来善良な個人に強いる、という古今東西当たり前のことを子どもに教えない、見せない、とうことを目的にしているのでありますから、笑い事ではないのであります。

ごくごく、広い意味で言うなら、松江の教育委員会は、どなたかが企図している戦争準備の「お先棒を担ぐ」行為であるのでしょう。

背筋が寒いのであります。

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