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2013年8月12日 (月)

教育を「評論」する人間のうさん臭さ、その存在の意味の欠如

 もちろん、尾木のことを言っています。 

 私は、1997年の神戸の事件以来、教育評論家とかもっとわけのわからない「識者」なんて言葉もそう呼ばれて「はい」と返事する人も、信じてはいけないと思っていました。
 多少でも「識」のある人が自分で自分を「識者」なんて自覚するわけないじゃないですか。無知だから自分を「識ある者」と思いこむのです。
 1997年の神戸の事件の時は20冊ほどを読み、絶望しました。この国に、この事件についてコメントできる人間なんかいないのだと思いました。ただ1冊、村上龍の「寂しい国の殺人」以外は。そして村上龍氏は識者でも教育評論家でもありません。少なくとも自分でそう思ってはいないでしょう。
 子どもと教育の事象を前に「評論」できる人間などいません。ただ、しっかりと向き合うべき「親」がいるだけです。評論家の考えを聞いてから行動を起こす親だとしたらすでに…若い人がよく使う言葉で言えば「終わっています」。だいたい「評論」というのはモーツァルトとか盆栽とか、今シリアスに対処する必要のない「のんきな」ことにしか対応しません。だから「教育評論家」だと自分で思っている人間は初めからおかしい。日本という国に、「教育」にまつわる問題が何もなくなる日は永久に来ません。だから教育評論家など、いてはいけません。
 万引きした我が子を叱るか、叱らないか?
 「どうしたの」と優しく聞く?
 議論になるようなことじゃないでしょ。
 日本は法治国家じゃないですか。
 万引きがあったということは、具体的な損害が発生しているということでしょ?
 知り合いの本屋さんに聞いたのですが、1冊の書籍が万引きされると、30~40冊の書籍を売らないとその損は取り戻せないそうです。それくらい、雑誌というのは利幅が少ない。ちなみに雑誌そのものじゃなく付録を抜き取って書店内のトイレに放置するバカもいますが、付録だけ抜かれても売れません。
 親としてまず警察に詫びを入れに行く。もちろん子どもを連れて。仕事を休み、背広を着て、しっかりと謝りに行く。子どもと一緒に心から謝罪する。警察から状況を聞いたらそれをメモし、万引きのあった店へ行く。そこでも子どもと一緒にちゃんと謝罪する。代金は払う(当たり前だ)。
 子どもが万引きに手を染めたということを知ったら叱る叱らないなんて私的な家の事情より損害の発生をまず自覚し子どもに自覚させその弁償と謝罪が必要だということを具体的な行動で示すべきでしょ。「一緒に警察とお店に行って謝るぞ」と言い、子どもが「嫌だ」とか言えば、顔の形が変わるまで殴る。女の子でも男の子でも関係ない。そのままで社会に出すことなんか絶対にできないんだから。
 私はその自覚を持って子どもを育てました。必要があるときには実際にそうするつもりでした。今でも自信を持っています。3人の子どもは現在自慢……とは言わないまでも、まずは信頼できる社会人に育ちました。
 自分の子どものことで「評論家」の言葉を参考にしたことはありません。これからもありません。
 あなたに子どもができたら。
 それはとても喜ばしいことだ。
 応分の「覚悟」も必要です。何も失敗しないで大きくなる子どもなど世界中どこにもいないからです。

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