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2013年8月21日 (水)

ハルピンから屋台が姿を消す日

 ハルピンに戻って、私と配偶者はそれぞれのアパートへと別れました。

 配偶者は中心街に近い師範大学のアパートへ、私は南崗区の東方学院内の宿舎へ。

 翌朝、配偶者から電話ありました。

 「露天の数が大幅に少なくなって、営業時間も短くなっているみたいなのよ」

 私は、「確かにこっちの大学周辺も露天が何分の1かになっているけど、道路工事の関係だと思うなぁ」

 ハルピンの大学周辺は、どこも屋台でいっぱいなのであります。黒竜江大学の門前の屋台群は名物であったりします。

 もしかして、と思い、早朝の散歩はいつもとコースを変え、学府路沿いにずっと北上してみました。

 午前6時半の散歩出発でしたが、あっけにとられました。あれほどあった屋台群、ぱらぱら。

 早朝は衣料品や生鮮食品を商う店が、夜は飲食を提供する店が、それぞれびっしり並ぶはずなのですけど、それが「まばら」になっている。

 よく見ると、たしかに火気のあととか食品の包み紙の放置とか、営業した痕跡は、あります。

 6時45分、体格のいい警官が手にトランシーバーを握りしめ、現れました。大声を張り上げ、何事か叫んでいます。残っていた少数の屋台の店主が、あわてて商品をしまいはじめました。警官は複数で、何メートルかおきに立ち、蹴飛ばさんばかりの勢いで商店主に何事かを命じています。

 それを横目で見ながらなおも北上して新中新のバス停付近から西へ、脇道へそれると、この時間帯びっしり出ているはずの屋台がものの見事に一軒もありません。そのへんは工事とはもちろん関係ありませんから、ただただ『屋台であるが故に』撤去を命じられたということになります。

 地下の市場へ行ってみました。もちろん、地上に店舗が存在しないのですから、応分の混雑でありました。ふだんの客数の何十%か増しであります。

 そこで折り返し、帰路をたどりましたが、学府路上ではなお商品撤収に手間取った店主が警官に叱られながら追い立てを食っているところでありました。逃げるようにリヤカーを引くおばさん、それでも焼き上げた餅(ビン)はせめて売り切ろうと、警官の顔を伺いながら忙しく手を動かす若い女性の商店主。

 ハルピン、近代化、まっしぐら。

 北京には、屋台がありませんでした。

 斉斉哈爾でも屋台をみかけることはなかった。

 都市から屋台が消える?

 たしかに、片側7~8車線の道路の2車線ぶんくらいを占領するし、歩道は歩道でまっすぐ歩けなかったりするから、利用しない人間にとっては困りものではあったのです。

 これが近代化ということなのかぁ。でも、追い立てを食った人々が今どこで営業しているのだろうと、もちろんそれを考えてしまうのであります。

 それに代わって、ぎっしりテナントを擁した、おしゃれなビルが次々にできます。秋林百貨店、凱徳広場……。

 私がこの国からもこの町からも去る20147月、さてハルピンの光景は……。

 感傷をちょっと離れて、しまい遅れた屋台に向かって怒鳴り散らしていた警官さんにお願い。

 その仕事も大事かも知れないけど、ナンバーを付けないで猛スピードで道路を逆送する3輪バイクもなんとかしてね。こっちは命にかかわるから。そんで、せっかく歩行者用信号をつけたんなら、電気を通してあげてね。置いてあるだけじゃ意味ないから。

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