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2013年8月25日 (日)

ネットを覆う、おそらくは意図的に作り出された「コミュニケーション不全」

 昨日はこのブログに異常な記録がなされた日でありました。

 1日のアクセス数が400弱、日本時間の午後600分から59分までの1時間で、331アクセスであります。

 何かが起こったのか、と思いました。通常、このブログのアクセス数は1日平均、4050といったところであります。その半分以上は私自身と、日本にいらっしゃるごく親しい知人の皆様、そして親戚、と承知しております。

 それが、824日に限っては400

 それから、私のパソコンだけでなく同じアパートに暮らす日本人外教のパソコンにおしなべて言えることなのですが、今までは当たり前につながっていたサイト(例えばYomiuri Onlineとか)に、非常につながりにくくなりました。ソフトを入れた覚えもないのに、中国の主要な検索システムであるQQがその代わりに立ち上がります。他にも閲覧不可、あるいはきわめて不自由なサイトがあります、というか増えております。

 このブログもいつまでアップロード可能かわかりません。ヤフーブログは、昨年8月、中国に来たときから閲覧も書き込みも不可です。そうかと思うと日本との連絡手段として使っているアカウントのうち一番安定なのがyahooで一番不安定(というか中国からはかなりしんどい)なのがgooなのですから妙です。Hotmailはつながったりつながらなかったり。いざとなったらニフティの有料アドレスを使用しようと思っております。これはもう平成7年秋ぐらいから使っております。

 さて、それはそれとして。

 昨日は、私たちが「コミュニケーション不全」に陥ってはいないか、ということについて考えてみたのでありました。

 ネットでの発言は、「多数の中の1人である」という安心の元に、特定の個人にとってはかなり厳しいこともアップされそれに対する反論は勇気が必要で時には心ない罵倒を受ける。

 インターネット自体は双方向のコミュニケーションツールであるはずですが、私たちみたいな本当の市井の一般人が利用するようになってせいぜい20年ちょっとなのですから、「双方向」として成熟するには時間がかかるのかも知れません、しかしこのまま時間が経過しても事態が良くなるようには、私には見えない。

 ある時期私の貧しいこのブログに、定期的にコメントくださる方がありました。「カリフラワーの中に住む虫はカリフラワーが全世界だと思っている」というなかなかうがったコメントで、それはそれでおもしろかったのですが(まぁ私は、カリフラワーのこと『すら』知りませんが)、ただ、私が虫かどうかはともかく、私が大切にしている知人の方までも侮辱したのは許せなかった。

 その発言は看過できません、と書いたのであります。ところが驚くべきことにこの「カリフラワー」子さまは、その私の反論を、「読んでいない」。書き込んだパソコンのIPアドレスと読むために訪問したパソコンのIPアドレスが違うのかも知れないけど、まぁ「発言したらあとのことは知らない」そういう閲覧態度なのだと考える方が自然でしょう。

 この方にとっては(もういらっしゃらなくなってずいぶんの日数が経ちますが)ネット世界というのはコミュニケーションの場では『ない』のであります。言いっぱなしで気持ちがよい、そういう人間を作りだしているとしたら、インターネットシステムの『罪』の1つはそれでありあます。ほぼ確実に、ネットを離れた場でもこの人はそのように行動する(発言する、会話する)ということです。

 大変な損失です。

 誰かを理解するには、男が女を、女が男を、好きになるには、親が子を子が親をわが世界の大切な構成要素であると抱きしめるには、何よりも先に「話を聞き」「理解する」その単純なプロセスがないといけない。

 もう何年も昔ですけど、卒業生から相談を受けたことがありました。

 年上の、子どものいる女性を好きになった、結婚を考えているが彼女の人生には問題が多かったらしくしょっちゅう彼女は困りごとを口にし人生の問題を提示してくる、どうしたらいいだろう、というものでした。

 私は、絶対に自分の考えを口にするな、と申しました。

 オレはこう思うよ、オレならこうするなぁ、という風に日常的に返すと、彼女は3日で君から去っていくよ、と申しました。ちゃんと、誠意を持って聞け。理解しろ。理解したら効果的に相づちを打て。彼女は答を求めてなんかいない。ついでに、相手を呼ぶときは、「あのさぁ」でも「君ぃ」でもなく、正しく名前を呼べ。

 数日して、電話がかかって参りました。「先生の言うとおりだった。彼女との関係はずいぶん良くなった。」彼は、でも話を聞くって難しいですねぇ、と付け足しました。当たり前です。ちゃんと話を聞こうと思うと、しゃべっている相手の10倍の情報量が必要です。情報がないから、すぐに「オレはこう思う」と言ってしまうのです。

 彼女は、あまり人生の愚痴も、言わなくなったそうです。何のことはない、彼女の人生の問題とは、その発言を「聞いてくれる人がいない」それが最大のものだったのであります。

 で。

 ネットではいま、それとは逆のことが起こっている、と思うのであります。つまり理解するべき人間相互の、意図的な「分断」であります。この「分断」はかなり高水準で達成されつつあります。

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