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2013年8月 2日 (金)

麻生発言のことで

 つかの間、日本に帰ってきています。8月18日には千歳から新潟へ、新潟から哈爾浜へと空路をたどり、夕方には中国の土を踏みます。来年の春節には日本に帰らないので、長い中国暮らしになります。
 中国にいる間、私が気を付けていたことがあります。
 日本の悪口を言わない、ということです。
 たしかにこの国にも矛盾はあるでしょう、矛盾なしに経済的繁栄を遂げた国などありません。とくに中国にいるとそれを強く感じます。Aという場所で価値のある物はBという場所では価値がない、Cという人にとってDという物は百円の価値しかないがEという人にとっては同じDが1万円でも得難い、という場合に商業行為が成立します。それは場所と人のごく広い意味での「矛盾」であり、経済的繁栄というのはその相互矛盾を上手に読み取った結果もたらされた物だと思っています。その価値の傾斜に対し、ある国が(企業が、個人が)異を唱えると、短期的あるいは中・長期的な混乱が起こります。石油ショックはそうやって世界をゆるがせた、と思っています。
 日本がエズラ・ヴォーゲルの言う「…アズ・ナンバー1」の経済的発展を遂げたとしたら、その矛盾を最大限味方に付けたか、あるいは世界に矛盾のタネをまき散らしたか、どちらかだということです。
 それでも日本が好きです。
 矛盾を(あるいは傾斜を)利用して繁栄しようという国の中には例えばアフリカを恫喝したり意図的に政治的混乱を引き起こしたり商取引しているように見せながら資源の代金を通常のやり方で支払わず等価的に「武器で」「支払う」国だってあるじゃないですか。
 日本はそういうやり方を、私の知る限りしていない。他国に一発の銃弾も放たず、資源も労働力も「市場価格で」買ってきたのです。その結果の繁栄だ。エズラ・ヴォーゲルだけじゃない、1980年代の終わりにはゴルバチョフが「20世紀もっとも顕著な経済的成功を収めたのは日本だ」と言ったのを私は忘れない。ゴルバチョフには更にこう言って欲しかった。
 「しかも、軍事力を行使しないで、だ。」
 世界に向かって、「俺たちを見習え!」という資格のある、少数の国だ、と私は思う。
 私は中国にいる間、自国の悪口を言わないようにしてきた。いかなる意味でもそれは「国益」ではないからだ。それは他人に対して自分の家族や家庭の悪口を言うことだ。どこの世界にそんなことをして喜ぶ奴がいるか。
 麻生の発言はたしかに問題を含んでいたかもしれない。しかし発言の全部を読むと、メディアが問題にしているようにはどうしても受け取れない。少なくとも憲法の改正にあたり、国民の知らない間にこっそりやっちゃえということは言っていない。私の目には、ヒトラーのやったことを賞賛しているようにも、読めない。
 体制に対して、国民生活の視点から問題は指摘する、それはメディアの大事な役割だと思う。正直に言って、新聞やテレビ(我が家にはないが)は何をやってると思うこともある。でも、今回の麻生発言を取り上げるやり方は、国益という点に照らして、本当に正しかったのか。また国会議員の中には、こういう発言をとりあげて政府のありかたを糾弾する、それを「政治」だと勘違い(勘違いだ!)している向きもある。
 8月18日から1年間中国で暮らすことを思うと今回の事件は憂鬱になる。麻生の発言が国益かそうでないかという議論をするなら答えはすでに出ている。しかしそれから後のメディアの姿勢は、本当にこの国を愛しての結果なのか、私は疑ってしまう。

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