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2013年6月 2日 (日)

「偉くなろう」と思うと、きっと私の人生は悲惨なものになっていただろう

 誰が監督した何という映画か完全に忘れたのですけど、シーンのみ印象に残っている、という妙なことが、私の記憶にはしばしばございます。

 ある、企業の偉いさんか国家の要人かどっちかが、どっかの国の国教の最重要人物に会いに来る。

 今なら安倍さんがバチカンへ行き、法王に会うようなものです。

 しかし国教の最高指導者は何とまだ10代の「少年」だ。

 訪問してきた偉いさんはもちろんそれなりの年齢だし、その少年教主に礼を尽くせない。「なんでこのわしが、この子どもより下におらんといかんのだ」とゴネるわけです。少年教主の側の大人が「どの国の方もそうしておられます」といさめるが、偉いさんはいうことをきかない。少年教主はごく簡単に、「じゃぁ私が下におりよう」と言います。ふんぞり返ったどこかの国の偉いさんと、ようやく会話がはじまる。

 そんなシーンであります。

 話は変わって、私が現役の教員だった頃。50代にさしかかって、ある人からこう言われました。

 「中先生、教頭試験はいつ受けるんですか?」

 ……いやぁ、笑った、笑った、ここ数十年こんなに笑ったことはない、というぐらい笑いました。

 この私に向かい、「教頭試験はいつ受ける?」

 私が教頭になれるわけがありません。教員というのは資格でもライセンスでも採用試験合格の事実でも知性でも教授技術でも情報量でも何でもありません。目の前の生徒との「関係」が、教員という言葉の実態なのであります。ですから生徒に何か注意して、「おめ誰よ」と言われたらその瞬間に教員じゃない。教員になろうとして処分とか権力とかをちらつかせると、どんどんと教員じゃなくなる。同じように、教頭というのは職員室内の信頼関係の呼び名であります。教頭試験に「受かった」から教頭なのではなく、教諭や講師といった先生方との関係性が立派に機能して初めて私は教頭になります。

 そんなことができるわけがないじゃありませんか。背中に羽をつけて飛べ、という方がまだ簡単です。

 人間性にさしたる向上もないのに肩書きのみ偉くなる人は主観的にはどうであれ客観的にはずいぶん悲惨な人生を歩みます。名前が偉くなると、どうしてもそれなりの扱いを受けないと承知できなくなるからであります。もちろん立派な教頭先生も枚挙にいとまがない。私もたくさん、自分を犠牲にしてでも教員を守る気迫に満ちた教頭先生を知っている。しかし一方では、職員旅行の夕食の席で自分がどの席を与えられるか、もうほとんど死なん哉と悶える、そんな「教頭」も知っている。

 偉くない人間の社会的な肩書き、脳のわるい(あるいは責任のない)人間からの漠然とした認知のみで「偉く」なった人は悲惨であります。どうしてもその扱いを受けないと自分で承知できない。辛い。その辛さから逃れるには……。

 もっと偉くなるしかないのであります。なんでオジンになってそんな苦労をしなきゃいかんのだ。

 あ。

 映画のタイトル、思い出した。

 でも……ここには書けネェや。日本に帰ったら書こっと。

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コメント

少し付け加えさせていただきます。
管理職になる方には次の条件が必要です。
①自分がなりたいと思っている ②そのために上との関係に常に気を配り校長室に目立たないようによく出入りする。 ③大筋で校長の言うことにそれとなく賛成する ④どうでもいいことについては堂堂たる意見を開陳してみせる ④決して現状を改革しようとは思わない ⑤自分が間違ったことをしでかした場合、貝のように沈黙して弱みを見せまいとする ⑥積極的に研究会や部活動の世話係をして上のお覚えがめでたくなるよう努める。⑦授業は必然的にいい加減になる。⑦必然的に生徒のことはあまり考えなくなる。  
 以上の条件を満たした方が校長のお覚えがめでたく、推薦されて管理職になります。つまり管理職のほとんどは人間的に標準以下の方が多いという結果。みんなとはいいません。たまに人間的に包容力があり、義理堅く、生徒思いの校長先生もいらっしゃいましたけど。(´,_ゝ`) 

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