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2013年6月 9日 (日)

神戸の事件について書き足りないこと

 19975月末から6月、という時期を生涯、わすれることはできないだろうと思います。このことはこの生存報告ブログに何度も書きました。その夏に私はインドを旅したのですが、バナーラスのミンタウスというマーケットでビールを飲んでいるとき、いきなり現地の、ハジャジという不思議なバイクにまたがったオヤジから、その事件についての質問を受けています。つまり全世界の人が知っている情報だったということです。私は旅に出ると日本にいる時より礼儀正しくなるので、「そんな事件に関心を寄せる暇があるなら、このあいだあんた達がやった北インドでの核実験の反省でもしてろ」とは言わないで(別の人には言った)、「人間にはそういう異常な想像力があるんだよ。時にそれが暴走するんだ。」と説明しました。

 ハジャジ「日本人みんなに、ということかい?」

 私「そうじゃない、たぶんインド人の中にもある。普段はそれが眠ってる、それだけのことだ。」

 ハジャジ「いや、インド人の中にはないね。インドでは、父母や教師がしゃべるとそれは『神の言葉』と同じだ。」

 ……話がむつかしくなりそうだったので私は議論を回避し、(そもそも語学力がない)つねに心に神が宿るインドの子どもは幸せだな、と言って別れました。(いや、インドの子どもは幸せだ、と言ったのはハジャジだったかもしれない。記憶が曖昧)

 今なら、「じゃぁインド各地で多発している身の毛もよだつような幼児姦は何を物語るのだ、あんた達の中にも想像力の闇はあるし神は時に座して犯罪を放置するではないか」というところだ。(しかし実際にインドでシヴァ神を侮辱すると大変なことに)

 それはともかくとして。

 あの事件以降私たちが抱くようになった恐怖というのは、「人は生まれた時は基本的に善なるマインドを持っている、親を初めとする周囲の人間からの豊かな愛情を注がれる限りその善なるマインドは消えず育ってゆく」というごくごく基本的な安全保障が実はもっとナイーブなものだったかもしれない、というものだったと、私は思っています。私は14歳の少年の中にあったのは肥大した好奇心と想像力であり、それは彼が生きていくのに必要で、それがどんなにシリアスな『犯罪』だと認識されようと、それを抑制する社会的システムが彼の上には力を及ぼさなかった、そういうことだと考えております。(この部分、明日、レポートしたいと思います)

 もちろん失われた2つの命と、生涯にわたり消えない恐怖を植え付けられることになった1人の女の子については、本当に可哀想だと思います。

 「学校が悪い。少年は無罪だ」と言って日本人の判断停止を促進した君和田和一については今なお体が激しく痙攣するほど私は怒っているし、「人を殺してはいけない、それはなぜですか」と冷静に中学生が聞いているのに、「そういう質問そのものが壊れているのだ」と言ってこれまた判断停止した某有名作家には、「日本人2人目の国際的な文学賞をスウェーデンまで返しに行け」と言いそうになりましたが、それでも日本人は地道に進歩を遂げてると、私は思っています。少なくとも「自分の子ども」への危機感をちゃんと抱き、考える人が、少しずつではあるけれど増えている。(じゃぁ大津の事件はどうする、と言われそうだが)

 文部科学省はいつになっても本当の馬鹿でした。何も言わず沈黙した方がはるかに良かった。事件から1年近く経った翌年2月、巨大な黄色のポスターが全国の中・高に配られました。町村信孝文部科学大臣の名前で、「今すぐ家族で話し合おう、学校の先生といろんな悩みを相談し合おう。お父さんお母さんは早く家に帰って子どもと向き合おう。」という趣旨でした。私は渡されたそれをおとなしく教室に貼りました。しかし「なんでこれが『緊急』のアピールなんだよ」と猛然と怒り、手渡した教頭の面前で「私の担任学級には貼らない」と宣言した若い先生もいました。(ちなみに私の教室のそれは、日ならずして生徒の手により『処分』されてしまった。)

 「学校ではうまくいってるかい?」「何か悩みがあるなら話しなさい。」といって、話し始めるこどもがいるわけ、ないじゃありませんか。男ならキャッチボールをすると大変によくわかる。父が構えたミットのどこに、どんな球が来るか、こぼれ球を拾いに彼が歩く時どんな足取りをするか、どんな『言葉』を使うより、よくわかる。私の3番目の子どもも、学校のことについてはついに『別に』以外のことを言わなかった。しかし彼とスキーをする時、キャッチボールをする時、彼は本当に雄弁にあらゆることを『語った』。

 この話を、当時勤務していた北海道歌志内高等学校の教室で、しゃべりました。1人の女子が質問。

 「女だからキャッチボールできない。それと生まれた子どもが女の子だったら?」

 私は、ケーキか料理を作る、と言いました。(私はとても罪深いジェンダー差別主義者だ)

 「どうしたらわかりますか?」

 味に決まってるじゃん、と私は言いました。

 あれ? 長くなりすぎました。この事件については本当に……。

 ところで、昨日、深夜2時という時間帯に、たった2名の方による90アクセスが記録されている。こんな、文字ばっかりのしょうもないブログに……。

 何故……。

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